ReoNa むき出しの自分のままで叫ぶ「
愛をもっと」に込められた思いと願い

“絶望系”アニソンシンガーReoNa。SPICEでは彼女に度々話を聞き、都度ライブに足を運びレポートを行っている。自身の誕生日に開催される初のZepp Tokyoでのワンマンライブ『ReoNa ONE-MAN Live "Birth 2019"』も即日完売するなど順風満帆の彼女が、その冠である “絶望系”を名乗る理由の一つとして、8月28日に最新シングル「Null」をリリースする。自身の原点を表現したというこの一枚は、どのような思いで作られたのか、そしてReoNaが歌う原点とは?ロングインタビューで迫る。

――先日ライブレポートもやらせて頂きましたが、あらためて『神崎エルザ starring ReoNa ✕ ReoNa Special Live “Re:AVATAR”』の話も伺いたいです。どうでしたか?一年ぶりにエルザとステージで邂逅した感覚は。
思い出すものがものすごくたくさんありました。「AVATAR」のときにステージから見た風景だったりとか、はじめて裸足でステージに立った感覚だったりとか、外のこう、うだるような暑さだったりとかを1年ぶりに感じて。「Prologue」の制作時にも思ったんですけど、やっぱりまたエルザに会えたっていう気持ちは、今回日笠(陽子)さんにMCをしていただいたのもあって、感じました。
――それを踏まえて、原点を記すシングルというところで今回の「Null」が出ますが、改めてタイトルからどういった思いがあるのかを聞いていければ。なぜこの「Null」というタイトルになったんでしょう。
神崎エルザの「Prologue」があってこの「Null」が出て、そのあとに『Colorless』っていうツアーがあって、それを全部総称して「"ReoNa ZERO"プロジェクト」としているんです。私の原点にふれる「ZERO」の部分を紐解くものたちというものなんですが、この「Null」は直訳すると「ない」とか「空っぽ」とかっていう意味なんです。本来ならシングルって表題曲、リード曲みたいなものがあって基本的にその曲のタイトルがつくと思うんですけど、今回はそうじゃないんです。
――そうですね、収録曲は「怪物の詩」「Lotus」「決意の朝に」の三曲です。
「怪物の詩」だったり、(完全数量生産限定盤に)MVとして入る「トウシンダイ」だったりは、私自身が自分の生きる意味とかも探して、生きていく理由がわからなくて、そんなときに出会って、自分に何かを示してくれたものたちを収録しているんです。その当時の自分自身とか、原点を示す言葉として今回「Null」というタイトルになりました。
撮影:大塚正明
“当たり前”を知ることで、過去の辛さを知った
――「"ReoNa ZERO"プロジェクト」の特設サイトも出来ていますが、今回はこの3曲の話以上にReoNaさんの「ZERO」をお聞きしたいと思っています。本当の意味でのZEROというか。まず、最初に「歌う」ということを意識したのはいつごろなんですか?
私、すごく内気だったんですよ。人前に立つなんて考えられなくて。漠然と歌が好きだったのは物心ついたころです。ただ、それが職業になるとか人前で歌うっていうのはぜんぜんイコールにはなっていなかったので。
――幼稚園とか小学生くらいのころでしょうか。
そうですね、でも本当に、当時はそんなのを口にするのも恥ずかしくて。将来の夢を聞かれても、動物が好きだったので獣医さんって答えていたんですけど(笑)。
――実のところは表現をしたかった?
そうですね……本当に自分の気持ちを代弁してくれるものじゃないですけど、そういうものを探していたんです。結局それって自分の言葉で表現できるものがなかったので、その代わりに歌おうっていうのはあったと思います。
――幼少期があって、歌うのが好きだなあっていうのがあって、私生活があって。初めて自分の意識のなかで「これは私の気持ちを代弁してくれている」「共感できる!」と思った印象的な曲ってあったりするんでしょうか?
最初はなんだろうな……最初にCDを買ったのは、小学2~3年生のときの『ドラえもん のび太と緑の巨人伝』の主題歌、絢香さんの「手をつなごう」だったんですよ。
――懐かしいですね!2008年のはずです。
それも映画館で買ったんです。「ドラえもん」っていうとけっこう子供向けでかわいらしい物語のイメージがあるんですけど、『緑の巨人伝』は枯れていってしまう植物たちだったりとか、命みたいなものをテーマにした、当時の私としてはすごい壮大な物語だったんです。その最後に絢香さんの曲が流れてきたときに衝撃を受けて。「広い海を渡るには1人じゃ迷ってしまう」っていう歌詞があって、それがすごい印象に残っていて。
――刺さるところがあったんでしょうね。変な話ですが“絶望系”という部分においては、その頃はもうすでに辛さを感じることもあったんですか?
今考えると辛かったことがあったんだなと思うんですけど、そのときの自分ってまだ周りと自分を比較するということがあまりできていなくて。だから、自分が今いる状態が不幸であるかそうでないかっていうのを判断する材料がそんなになかったんです。
――世界観も今より狭いかもしれないですしね。
当たり前だと感じていたものが、そのあと“普通”とか“当たり前”を知るにつれて「ああ、あれは本当はつらいことだったんだ」っていうのを知るというか。
――それって気づいたときにはダメージが大きいんでしょうか?当たり前だったものの価値観が崩れるみたいな部分というか。
でも、否定しようとはずっとしていました。家の中でこんなことがあったら、周りの人に相談してくださいとか学校の授業で受けたときとかに、あてはまっているなと思いつつも「いやでもそんないわゆる虐待とかそういうのじゃないし、うち」みたいな、否定する材料を探していました。
――そんな中で少しずつ大人になって、交友関係や好きなものが変わっていったりするなかで、気づいちゃう瞬間が。
ありました。これはもしかして普通じゃないんじゃないか、とか(笑)。 それでも自分より不幸な人を探して安心するじゃないですけど、もっと下には下がいるから私はまだぜんぜん普通の域じゃないか、みたいに言い聞かせようとしたりとか。でもやっぱりしんどいから、今の自分にこう、イコールできるものとか一人じゃないって言ってくれるものを探すとか……そんな感じでした。
――今のお話を伺ってこの「Null」の1曲目、「怪物の詩」を思うと、この曲はずっと歌われている曲ですが、印象的なのは「愛をもっと」「愛を」って叫びだと思うんです。
そうですね。
――これは毛蟹(LIVE LAB.)さんが作詞作曲されている曲ではあるけど、ReoNa的な魂の叫びでもあるのかなって。
愛って結局確認作業みたいなものだなと思っていて。自分自身が愛だと思って与えていても、相手がそれを愛だと思って受け取ってくれなかったら愛情じゃなくなっちゃうみたいな。
――……それはなんというか、凄くわかりますね。
なんだろうな……貰っていたのかもしれない愛情も、自分自身にはそのときは愛情だと思えなかったりだとか、愛って言葉で濁しているけれども、本当にほしいものは愛っていう名前の……たとえば家族団らんだったりとか、恋人なのか友人なのか。愛っていう名前の何かなんですよね。多分、私が欲しかったのって。
撮影:大塚正明
埋めようと思えば傷ついてでも埋められた穴もあったかもしれない
――初めて人前で歌ったのはいつ頃?
17歳くらいのときですね。
――そのときとReoNaさんの環境もすごい変わっていると思うんですが、当時のことを思い出してみて、初めてこの曲をもらったときにReoNaが「もっと」って求める愛は何だったんでしょう。
なんだったんだろう……あの時はまだ誰にも認められていないような感じがしていたので。やっぱりお歌を歌って生きていきたいっていうのも、友人だったり家族だったりとかも誰一人として真に受けてくれていなかったですし。だから、誰かの肯定がほしかったっていうのは根底にあったと思います。
――その「肯定がほしい」という感覚って今は変わったりしてるんですか?
根底の部分は変わっていないです。やっぱり聴くときによってその歌の感情が変わるように、歌う時の気持ちによって自分のなかでもその歌の表情って変わるんですけど。やっぱりこの歌が言いたいことって結局は「愛をもっと」だし。それに関しては一生埋まらないものなので。今でも変わってないです。
――ReoNaさんはずっと「埋まらない」と言ってますよね。底に穴があいているコップに水を注いでいるような感じなんでしょうか。
そうですね、そのコップって1つじゃないんですけど、どうしても直せない底のコップがあるっていう感じでしょうか。
――いろいろなもので人生が埋まっても、もうそこは埋まらないと。
そうですね。
――それだけ永遠にふさがらない穴が開いてしまったきっかけってなんなんでしょうね。
なんでしょう、どうしても過去には戻れないっていうのが大きいんですけど……。たぶん、埋めようと思えば傷ついてでも埋められた穴もあったんだろうなっていうのを、わかっていながら逃げてきたので。その後悔じゃないですけど、負い目みたいなものがたぶんあるんだと思います。
――負い目ですか。タイムマシンに乗って当時に戻ればふさげるかもしれないですけどね。
そうですね。でも、あのときの自分にはそれができる余裕もきっとなかったし。
生きる理由を一緒に見つけてくれた人たち
――ReoNaさんは「どういう形だろうが、私は歌で生きていきたい」ということをずっと発信し続けていらっしゃいます。そう思うようになった、自分の明確なターニングポイントってあったんでしょうか。
やっぱり、『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』の劇中歌担当が決まったことはすごく大きいです。
――やはり『ガンゲイル・オンライン』ですか。
それまで目標を考えたことすらなかったんです、歌いたい気持ちがあって、じゃあ歌って何したいっていうのが全然考えらなかったです。目標とする会場、ライブに足を運んでくれる方の人数とか全然考えていなくて。
――それまでは歌いたいものがあるし、それでいい、みたいな感じではあったんですか。
目標自体が、アニメに携わるお歌を歌うというもので、それがもう夢だったので。それが叶うぞとなったときに、改めて目標とか夢とかを考えたら、「この状態をお墓まで」っていう気持ちにたどり着きました。
――そういう意味では、失礼な言い方かもしれないけど、小学校のときから歌で生きていくと決めていましたとかそういうわけではなかったんですね。
ずっと、生きていくための理由探しをしていたので。しかも探していたものが「お歌」っていう形で“見つかった”のか、それとも“ずっと私のそばにあった”ことに気づかせてもらったのか……。
――気づかせてもらったという意味では、スタッフチームのReoNaに対する愛情がすごいと僕は思っているんです。
そうですね、言葉に表すのは難しいな。でも……本当に、会ってない日はないんじゃないかっていうくらい一緒にいるので、こう近くにいるからこそ絶対に感謝を忘れちゃいけないなと思いますし。もちろん作品に対してもそうなんですけど、その作品と出会わせてくれた人って、やっぱり支えてくれる人たちなんです。そういう意味では私の生きる理由を一緒に見つけてくれた人たちでもあるので。
撮影:大塚正明
むき出しの自分を「蓮華の花」に表現してもらえた
――「Null」収録2曲目の「Lotus」のお話も聞かせてください。今だから出せるというか。1行目からなかなか衝撃的なワードが飛び込んできます。
耳をそばだてて聴いてもらえるお歌になればいいなと思って。
――「あなたのやっていることを肯定して進んでいいよ」って言ってくれる環境がReoNaさんの周りでできたからこそ出来た曲なのかなという印象があったんです。
「Lotus」は「トウシンダイ」を歌うときとすごく通じるものを感じています。この歌に関しては、私自身を模して書いていただいたんですけど、お手紙を(作詞・作曲の)ハヤシケイさんにお送りしてから書いていただいた歌詞なんです。そのうえでこういう形になったんですけど、蓮華の花で表現してもらえたのが、うれしいというか、何て言ったら良いんだろう……。「ああ、そんな風になれたらいいな」という感じなんです。
――蓮華は泥の中から生えているのに、花は泥に塗れないですね。
蓮華の花って、きれいな水だとちっちゃいお花になって、泥だらけできたなければきたないほど大きな花が咲くじゃないですか。そうあれたらいいなって。花言葉も「あなたのようになりたい」なんです。
――ハヤシケイさんがReoNaさんの手紙を受け取って、そこから生まれた表現がこの曲というところですもんね。ReoNaに対する印象なのかもしれない。
実は、このお歌のもとになるお手紙、文章をハヤシケイさんにお送りするときに、私の中でひとつ決めたテーマみたいなものがあって。
――それはどんな?
自分のなかのカッコ悪いところというか。あまり人に見せたくない部分だったり、自分の嫌いな部分だったりとかを羅列して書き出してお送りしたんです。けっこう赤裸々にお送りして、それでこんなに鋭くも綺麗な言葉たちが並んで返ってきたので、この言葉を受けて響いてくれる人がどれくらいいるのかなっていうのは……楽しみというか。
――どう聴いてもらえるかな?みたいな感じですか。
そうですね。
――歌詞のなかで印象的だったのは「大好きだった絵本の最後のページは破り捨ててしまった 幸せな物語を読み終わらずに済むように」という所でした。すごくいやらしい話、大人になるにつれ、早く最後が知りたいから読み飛ばしてしまうこともあるというか、過程を楽しみづらくなるときがあるなって思ったんです。
わかります。私はどっちかっていうとすごく両極端なんですよね。いちばん最後のページを読んでから読むか、もういっそ読まないかみたいな。けっこう親しんだ作品であればあるほど、その物語の終わりを痛感するのが嫌で読めなくなったり、見れなくなったりとかがけっこうあるので。
――3曲目はカバーですね「決意の朝に」。ずっとこれも歌っている一曲ですが、先日の『“Re:AVATAR”』で聴いたときに、借りて歌うのではなく、自分の曲にしたなという印象がしたんです。ずっと歌っているなかでの変化ってあったんでしょうか。
技術的なところだったりとかにストッパーをかけているわけでは絶対になくて、全部をReoNaの伝えたい言葉として歌わせていただいている感覚はあります。でもたぶん、それでも切り替えられないというか。意識の深いところで、これが自分の歌になって、自分のCDに入ってみんなに届けられるっていうところで何か変わった部分はあるのかなって。
――「Null」を順番に聴いていくと、「怪物の詩」で愛を求めているところから始まって、「Lotus」で辛くて、いろんなことをしてきたけど、憧れるものがあって。「決意の朝に」で踏み出してみようかなというか。1個のストーリー、ZEROから1になろうとしているストーリーをちゃんと表しているような感じを受けました。そういう流れを意識された部分っていうのはあるんですか。
流れとは違うのかもしれないですけど、「怪物の詩」も「決意の朝に」も、どうしてもライブでずっと歌い続けてきた曲だったので、レコーディングのときにいざマイクを目の前にして歌ったときに、伝えたい相手を見失いそうになっちゃって。今までってすごく明確に目の前に一人ひとりがいて、みんながいる状態で歌ってきた楽曲だからこそ、どうしようってなっちゃったんです。だからライブの映像をその場で見返して。「どういう気持ちでこの言葉を届けていたっけ」「どういう人に届けたいんだっけ」っていうのを振り返って、届けたい相手、聴いてくれるみんなを意識して歌ったのはあります。
――やっぱりReoNaさんの中でライブが特別な場所になっている感じがありますか。
そうですね。
撮影:大塚正明
ReoNaと『SAO』の最大公約数が「Till the End」
――改めて「"ReoNa ZERO"プロジェクト」というものを考えてみると、ReoNaの中でZEROが1になったの瞬間っていつなんでしょうね。
なんか難しいですよね。でも、私のなかでは、「ReoNa"ZERO"」っていうのは、1になって改めて振り返れるZEROだと思うこともあるんです。過去になりきれていないものを吐き出す痛みだったりとかって、すごくあるわけじゃないですか。逆にこう、自分がいまそのなかにいるからこそ吐き出せる感情だったりとかもあると思うんですけど。今回「Prologue」だったり「Null」だったりは明確に私の中で過去にはなっていない部分もあって……なんだろうなあ。
――明確に過去っていうと、さっき話してくれた学生時代だったり子供のころのことだったりするんでしょうけど、詩として表現している世界は現在進行系でもありますもんね。
そうなんです、やっぱりZEROから1ってつながっているものだし。どこがその1に変わった瞬間だったかって言われるとすごくすごく難しいです。
――さっきも言ってたじゃないですか。「これはまだ不幸じゃない」って。でも振り返ってみたら「あれは不幸だったんじゃないか」みたいなことがこれからもあるかもしれない(笑)。
過ぎ去ってみたから気づけることはありますもんね。
――でも、この話ってまさに「Forget me not」ですよね。
そうですね、誰かが踏んだ轍ですね。
――もしかしたらReoNaさんの歩いている道が誰かの道になるかもしれないし。
そうなれたら嬉しいですね……。
――もう1個。大きいところで「Till the End」という曲があります。『ソードアート・オンライン』刊行10周年を記念した楽曲ですが。
もう、話が大きすぎて規模感がつかめていなくて。「え、これ私でいいんですか?」みたいな気持ちにはもちろんなりましたし、光栄という言葉では表せないくらい。私のお歌人生の原点である『ガンゲイル・オンライン』という作品があって。その原作の更に原作である『ソードアート・オンライン』という作品があって。私でいいのかなっていう気持ちと、でもきっと私に歌えるお歌があるから、この話がいただけたんだろうなと思う部分もあったり。
――『SAO』と言われれば『SAO』を感じる疾走感。でもReoNaを感じられる楽曲というか。決してReoNaの世界観を捨てていないけど、できるかぎり『SAO』に寄り添っているのが素晴らしいと思いました。
ReoNaとして歌いたいものと、テーマに寄り添うところの最大公約数みたいなものが、私がこの歌を歌う意味みたいなところだと思っていて。ちょっと逆にお聞きしてみたいんですけど、この楽曲を聞いて、主人公キリトを感じたりしました?
――そうですね……歌詞の切り取り方でいろんな見方ができるなと思っていて。キリトで切り取ればキリトだし、アスナで切り取ればアスナにもなるし。ユージオと思えばユージオだし。『SAO』っていう作品が幅が広いですしね。でも「成功はなくても 正解じゃなくても きっと命は続いていく」という歌詞は、『SAO』でありつつも、ReoNaさんが言うから説得力があるというか。
ありがとうございます。
――ReoNaさんの曲って、すごく絶望だったり寂しい苦しい痛いを歌っていても、でももしかしたら光があるかもしれないから歩くのは止めない、というスタンスは変わらないじゃないですか。
変わらないですね。
――それが楽曲の中で一貫していて。おっしゃる最大公約数に近いところなのかなと。
そうですね。はじめてこの歌詞をいただいたときに、「それでも生きてゆけ」の部分に強さをすごく感じて。ここがこの、すごく長い6分ある楽曲のなかで、ハッとする部分であればいいなと思って歌いました。
撮影:大塚正明
お歌を“自分事”として聴いてもらえたら嬉しい
――ReoNaさんの楽曲を聴いていると、ライブでもCDでも表明と証明をされている気がして背筋が伸びるんですが、改めて今、ライブの客層の広がりっていうのはご自身ではどうとらえていますか?
その時々によるとは思うんですけど、この間の『“Re:AVATAR”』に関しては、初めて見る方が増えたと感じました。もちろん見知っている顔方がいるからこそ、初めましての人がすごくすごくわかりやすいんですけど。女性が増えてるというのも感じましたし。
――本当にReoNaさんは客席をよく見てますよね。
自分も(ライブを)見に行ったことがあるからわかるんですけど、目が合っても気のせいかな?って思うんですよね。パっと目線をやった先がたまたま自分だったんだろうな、みたいな。でも、見てます(笑)。
――錯覚じゃないぞと。
錯覚じゃないぞと(笑)。
――では改めて最後に、「Null」をどう受け取ってもらいたいかというのをいただければ。
「怪物の歌」に関しては、歌詞が明記されたものがみんなの手に渡るのが初めてなんです。うろ覚えだったりとかライブで覚えた部分を書き上げてくださっている方とかもいらっしゃったりしたんですけど。改めてこう、明確な言葉のひとつひとつが手に届くものだからこそ、自分事として聴いてもらえたらいいなとすごく思います。
――自分事、ですか。
ReoNaの歌っていうのはもちろんあるでしょうけど、なんというか、“自分との共通項探し”じゃないですけど、そうやって聴いてもらえるくらい、届くような言葉で歌えていたらいいなと思います。人によってはやっぱり他人事だったっていう人もいるかもしれないですけど、それも届いた部分だと思っています。
――まだまだお歌人生は続いていくと思うんですけど、改めてまだまだ「愛をもっと」と叫び続けます?
はい、続けます。今は未来のことを見ることはできないですけど、この思いの果てが来るとしたら、今一生埋められないと思っている穴を埋められるときだろうし……もしかしたらいつかその時が来るのかもしれないですけど……今の自分を考えて、きっとまだずっと「愛をもっと」って歌い続けると思っています。
インタビュー・文:加東岳史 撮影:大塚正明

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