【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#109
作詞家・阿久悠の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

歌は、やっぱり世の中流れながら、その
時代の中でしか似合わない言葉を自然に
語っているもんだと思うんですよ

より

例えば、石川さゆりは「♪上野発の夜行列車 おりた時から 青森駅は雪の中」と歌い、あべ静江は「♪みずいろは涙色 そんな便箋に」と歌う。しかし、今はもう、上野駅から青森駅に着く夜行列車は存在しないし、便箋に泣きそうな心をたくす人も激減したに違いない。阿久悠の作品は、時代を反映しつつ表現されているという声も多い。今回の名言は、まさにそれを証明するかのようなインタビューからの抜粋である。この名言の後、「ああいう考え方、ああいう愛情のとらえ方、別れ方の一つの美意識ですとか、そういったものは60年代、70年代、80年代、90年代、みんな違う言葉によって証明されてきた訳ですから」と、自らの歌詞を分析するかのような発言へと続く。そして、「いま大流行してる歌の中に、この言葉を使ってみたいと思わせるものがなくなってきているというのが現実です」と語り、現代人が言葉をうまく使えなくなった風潮を嘆く。このインタビューには、これからの日本の歌謡をリードするべき人へのメッセージが隠されている。

阿久悠 (あくゆう)
1937年、兵庫県淡路島出身。作詞家、小説家。1966年、広告代理店でのサラリーマン生活にピリオドを打ち、放送作家と作詞家の仕事を本格化させる。処女作は、1965年のザ・スパイダースのデビュー曲『フリフリ』のB面「モンキーダンス」。広く名を知られるようになったのは、1967年の「朝まで待てない」(ザ・モップス)。1971年の「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、1976年の「北の宿から」(都はるみ)をはじめ、レコード大賞を5曲で受賞(作詞家としては最多)している。日本テレビのオーディション番組 『スター誕生!』(1971年~1983年)に番組企画と審査員として参加し、広い世代に知られる存在となる。生涯の作詞数は5,000曲以上。2007年8月1日、尿管癌のため死去。享年70。2019年8月1日に13回忌を迎えた。2007年3月に行われた石川さゆりの『デビュー35周年 感謝の宴』に出席したのが公の場に出た最後の姿。第2回横溝正史ミステリ大賞、第45回菊池寛賞受賞。紫綬褒章、旭日小綬章受章。

全日本歌謡情報センター

歌謡曲・演歌に特化したエンタメ情報サイト

新着