【中村ピアノ インタビュー】
魔法めいた歌謡センス。
オルタナティブポップの新感覚!
歌い上げるメロウな歌謡センスと加速するロック感。シングル「東京ディスコティック!!」は“パパ活”や“メンヘラ”など、赤裸々に時代の闇を抉っていくオルタナティブポップの新感覚が味わえる。全てがサビのように心に響く、キャッチーなメロディーと言葉の凄み。シンガーソングライター、中村ピアノに注目すべし。
あまり人に言えないことを
曲にして表現している
シングル「東京ディスコティック!!」は4曲ともそれぞれのベクトルを持ちながら、情念強めな思い切りのある勢いが素晴らしくて。
ありがとうございます。負の力、ネガティブパワーで書くのは昔からで。それをもうちょっとブラッシュアップして完成させたのが今回の作品ですね。
表現者になろうと思ったきっかけは?
中学生の頃、ふと“自分には何もやりたいことがない”ってことに気が付いて。それで“普通の人のままで終わりたくない”って思ったんです。そんな時にたまたまGLAYのライヴに行って、何万人をも圧倒するパワーに“音楽ってこんなに力があるんだ!?”と感動して“私も音楽をやりたい!”って思いました。
楽器は子供の頃からやっていたんですか?
ピアノをやっていたんですけど、発表会とか人前で弾くのが嫌ですぐ辞めちゃったんです。その後、ギターに手を出したんですけど…楽器は苦手でしたね(苦笑)。とにかく歌を歌いたかったんです。それで歌詞を書いてみたり、バンドを組んで曲をメンバーに作ってもらったりしました。でも、進学や就職でメンバーが抜けてしまって、“このまま一生、音楽を続けるにはどうすればいいんだろう”って考えた時に、自分で曲を作ればいいってことに気が付いたんです。
音楽家・亀田誠治さんの企画『亀田大学』にも参加されていたそうですね。
当時、“あなたの曲を亀田誠治が聴きます”みたいな感じでやっていたんですけど、本当に亀田さんの作品やベースが大好きで。そこで「火傷」という曲を聴いてもらって、評価していただけて嬉しかったです。その後、亀田さんが主催されたライヴイベントにもオファーをいただいて出演しました。野外だったんですけど、ゲリラ豪雨で…。でも、亀田さんが“観てたよ!”って言ってくださって嬉しかったです。鍵盤とかびしょ濡れだったんですけどね(苦笑)。
それはターニングポイントとして大きそうですね。ピアノさんはこれまで耳にしてきた音楽が幅広そうですよね。軸は90年代J-POPだと思うのですが、すごくリスナー体質なセンスも感じました。
小学生の頃とかはお小遣いが少なくてCDが買えなかったので、毎週CDのレンタル屋さんに通って今週の10位から1位までを全部借りるっていうのをやっていたくらいJ-POPが大好きでした。
歌のテーマとしては、女子の気持ちを今の時代だからこその赤裸々な歌詞で表現されてますよね。
私、性格がネガティブなんです。常に落ち込んでいるタイプで、世の中と上手く関われない劣等感がすごくて。なので、あまり人に言えないことを曲にして表現しています。“どうせ自分なんか…”とか(苦笑)。
メンヘラ体質?
そうですね。でも、小学生の頃は正義感いっぱいでした。運動もするし、学級委員をやったりするタイプだったんですけど、中学生の頃に“逃げてもいいんだ”ってことを悟ってしまって、性格が真逆になっちゃったんです(苦笑)。それが未だに治ってないんですよね。それで、音楽もそうですけど、漫画を読んだり、ゲームをしたり、イラストを書いてみたり。
自ら表現をしたい欲求が強かったんだ?
漫画を書くのも好きでしたからね。表現で吐き出すことがストレス解消になるんですよ。あと、高校生の頃はバンドをやってたんですけど、LUNA SEAとかのコピーをしていました。集まったメンバーがLUNA SEA好きで…私は東京事変のカバーをやりたかったんですけど、採用されず(苦笑)。
LUNA SEAはヴォーカルが難しそうですよね。演奏力も高いバンドだし。
そうなんですよ。でも、そのおかげでLUNA SEAは好きになりました。良い経験になっていて、悲しみの掘り下げ方など歌詞の世界観作りを学びましたね。