爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.104 「ナイス
グルーヴ♪AGT特集」

いい音爆音アワー vol.104 ナイスグルーヴ♪AGT特集
2019年 7月16日(火)@風知空知
「AGT」はアコースティック・ギターのことです。長いんでタイトルのゴロを考慮して略してみました。音楽の現場では「アコギ」と略すことが多いですが、なんか「阿漕」みたいで響きが悪いね。ということで以下「AGT」で。
7月は既に酷暑だから、涼し気なAGTでいこうと思ったのに、予想外の梅雨寒で、イベント当日も日がなシトシト雨でした。暑くなくて楽だけど、やはり季節に合った気候であってほしいものです。
AGTは奏法によってその表情をガラッと変えますね。アルペジオなどのソフト系も、ほっこりしていいですが、力強いカッティングやフレージングでビートを強調してもカッコいい。
そして、AGTだけでも充分グルーヴは出せますが、他の楽器群と合わさった時、自身の音色というよりは、かき鳴らす弦からほとばしり出る、水しぶきのような”シャカシャカ”音が、サウンド全体に勢いと広がりをもたらします。これぞ、AGTならではのグルーヴです。
今回は、そんなふうに、AGTでナイスなグルーヴを作り出している名曲名盤を集めてみました。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
The Doobie Brothers「Listen to the Music」
2・4拍で“チャッ”と止めるAGTのカッティングが気持ちいいですね。
∨第1弾シングル(1972年7月19日発売)
2nd アルバム『Toulouse Street』(1972年7月1日発売)収録
作詞・作曲:Tom Johnston/プロデュース:Ted Templeman
レーベル:Warner Bros. Records
全米11位、全英29位 アルバムは全米21位

・AGT (Acoustic GuiTars): Tom Johnston & Patrick Simmons
・バンド初のシングルヒット
・Tiran Porter (b)とMichael Hossack (dr)が加入して最初のアルバム
ドゥービー・ブラザーズ
1969年、ドラマーのジョン・ハートマンJohn Hartmanが”Moby Grape”のスキップ・スペンスSkip Spenceの紹介でギター&ボーカルのトム・ジョンストンTom Johnstonと出会い、意気投合、ベーシストを加えたトリオで、サンホセ界隈でライブを展開する。
1970年、ギター&ボーカルのパトリック・シモンズPatrick Simmonsとベースのデイヴ・ショグレンDave Shogrenが加入。
1971年、ワーナーと契約。4月に1st アルバム『The Doobie Brothers』リリース。
ダブル・ドラムにしようということになり、もう一人のドラマー、マイケル・ホサックMichael Hossackを加入させる。
同年10月、2nd アルバムの制作に入るが、途中ショグレンがプロデューサーのテッド・テンプルマンTed Templemanと衝突、バンドを離れる。12月、後任のベーシストとしてタイラン・ポーターTiran Porterが加入。
1972年7月1日、2nd アルバム『Toulouse Street』リリース。シングル「Listen to the Music」、「Jesus Is Just Alright」がヒット。
1973年3月、3rd アルバム『The Captain and Me』リリース。大ヒット。
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Jack Johnson「Good People」
この人の「2・4拍“チャッ”止め」は絶品ですね。
∨シングル(2005年6月発売)
3rd アルバム『In Between Dreams』(2005年3月1日発売)収録
作詞・作曲:Jack Johnson/プロデュース:Mario Caldato Jr.
レーベル:Brushfire Records
ビルボードModern Rock Tracks 29位、全英50位 アルバムは全米2位、全英1位

・AGT: Jack Johnson
・リラックス・サウンドだが、歌詞はプロテストソングである。昨今のテレビ番組、特に暴力シーンを垂れ流すことについて批判している。
ジャック・ジョンソン
1975年5月18日、米国ハワイ州オアフ島North Shore生まれ
5歳よりサーフィンを始め、17歳の時にはサーフィンの最も権威あるイベントのひとつ、「Pipeline Masters」にも招待選手として出場したが、その1週間後、150針以上も縫う大怪我に見舞われ、サーフィンを断念。
一方、8歳からギターを習い始め、12歳の時には作曲を始めた。
1999年、”G. Love and Special Sauce”のアルバム『Philadelphonic』収録曲「Rodeo Clowns」に曲作りとvocalで参加し、注目される。
2001年2月1日、”Ben Harper”を手がけたJ. P. Plunierのプロデュースのもと制作した1st アルバム『Brushfire Fairytales』をリリース。2月後半にはハーパーの全米ツアー「Innocent Criminals」の前座も務めた。
2003年5月6日、The Moonshine Conspiracy Records(後にBrushfire Records)より、2nd アルバム『On and On』リリース。プロデュースはブラジル系アメリカ人のMario Caldato Jr.。自宅の「Mango Tree Studio」でAdam Topol (dr, perc)とMerlo Podlewski (b)とともにレコーディング。
2005年3月1日、3rd アルバム『In Between Dreams』リリース。
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Simon & Garfunkel「Mrs. Robinson」
このAGTフレーズのカッコよさと低弦の響きは、何十年経っても色褪せません。
∨シングル(1968年4月5日発売)
OSTアルバム『The Graduate(卒業)』(1968年1月21日発売)収録
4th アルバム『Bookends』(1968年4月3日発売)収録
作詞・作曲:Paul Simon/プロデュース:Paul Simon, Art Garfunkel, Roy Halee
レーベル:Columbia
全米1位、全英4位 アルバム『The Graduate』は全米1位、全英3位 アルバム『Bookends』は全米1位、全英1位

・AGT: Paul Simon
・映画「卒業」(監督:マイク・ニコルズ/1967年12月公開)のサウンドトラックで初リリース。2月2日に再録音されたものがアルバム『Bookends』に収録されるとともにシングル・カットされた。
・ニコルズから3曲の新曲を依頼され、「Punky's Dilemma」「Overs」という曲を提出するが却下となり、既成曲「The Sounds of Silence」「Scarborough Fair/Canticle (Interlude)」「April Come She Will(4月になれば彼女は)」「The Big Bright Green Pleasure Machine」が採用される。しかしやはり新曲を求められ、「Mrs. Roosevelt」というタイトルで作りつつあった曲を、映画の登場人物「Mrs. Robinson」に置き換えて披露したところ、ピッタリだ!と気に入られた。
・69年の第11回グラミー賞で「Record of the Year」を獲得
サイモンとガーファンクル:
Paul Frederic Simon 1941年10月13日、米国ニュージャージー州ニューアーク生まれ、ニューヨーク市クイーンズ育ち。
Arthur Ira ""Art"" Garfunkel 1941年11月5日、米国ニューヨーク市クイーンズ生まれ。

小中高と同じ学校に通った。小学6年から親友となり、高校に進むと2人で曲作りを始め、1956年、「Hey Schoolgirl」という曲を25ドルでレコーディングした。
1957年、”Tom & Jerry”という名義で、シングル「Hey, Schoolgirl」をリリース。ラジオで評判になり、全米49位、10万枚を売り上げた。
しかし、その後にリリースした3枚のシングルはいずれも売れず、2人は別の大学へ進学する。
1963年、2人は再びコンビを組み、ライブを始める。それを観て、”Bob Dylan”の担当をしていたColumbia Recordsのプロデューサー、トム・ウィルソンTom Wilsonが声を掛ける。2人はオーディションで「The Sound of Silence」を演奏し、Columbiaとの契約が成った。
1964年10月19日、デビュー・アルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.(水曜の朝、午前3時)』をリリース。
 アルバムは3,000枚程度しか売れず、サイモンはがっかりして英国に渡る。英国では”Simon & Garfunkel”以前のサイモンのソロ作品が売れており、彼はCBS-UKとソロ・アルバムを制作する。
1965年8月、『The Paul Simon Songbook』リリース。「I Am a Rock」などが入っていた。
 一方、米国では「The Sound of Silence」がボストンのFMでオンエアされ、大学生を中心に受け始めていた。ウィルソンは、メンバーの承諾も得ず、スタジオ・ミュージシャンの演奏を重ねて「The Sound of Silence」のロック・バージョンを作り、1965年9月に発売。さっそくチャートインしたが、サイモンは怒り、ガーファンクルは数学の修士を目指してコロムビア大学の大学院に入ってしまった。
1966年1月、「The Sound of Silence」が全米1位に達した。Columbiaの要求に応じ、サイモンは米国に戻り、ガーファンクルとニュー・アルバムの制作に入った。
 同年1月17日、2nd アルバム『Sounds of Silence』リリース。全米21位。
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Django Reinhardt「Ol' Man River」
ギターでアドリブをやる人など殆どいなかった時代に、この奔放さはアンビリーバボー♪
∨1947年録音
フランス・ホット・クラブ5重奏団(Le Quintette du Hot Club de France: ジャンゴ、ステファン・グラッペリ、2本のリズムギター、ベース)名義
(作詞:Oscar Hammerstein II/)作曲:Jerome Kern
カヴァー:オリジナルは1927年、ミュージカル「Show Boat」の挿入曲
レーベル:Vogue
全米2位、全英4位

・AGT: Django Reinhardt、たぶんJoseph Reinhardt(ジャンゴの弟)、他
ジャンゴ・ラインハルト:
ロマ音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィング(マヌーシュ・スウィング)の創始者

1910年、ベルギーのジプシー・キャラバン一家に生まれる。
18歳の時、火事による火傷で、左手の薬指と小指が動かなくなる。
1934年、ステファン・グラッペリStéphane Grappelliらとともにフランス・ホット・クラブ5重奏団(Le Quintette du Hot Club de France)を結成。
1946年、初渡米。デューク・エリントン楽団のツアーに特別ゲストとして参加、大好評を博すが、ニューヨークでの最終公演に大幅に遅刻、批判された。
1953年、脳溢血のためパリで死去。43歳没。
Nick Lowe「Cruel to Be Kind(恋するふたり)」
「ジャカジャカ8ビートAGT」は思わず気持ちが踊りだす♪
∨シングル(1979年8月17日発売)
2nd ソロ・アルバム『Labour of Lust』(1979年7月9日発売)
作詞・作曲:Nick Lowe, Ian Gomm/プロデュース:Nick Lowe
レーベル:Radar (UK) / Columbia (US)
全英12位、全米12位 アルバムは全英42位、全米31位

・AGT: Dave Edmunds, Billy Bremner
・drums: Terry Williams / bass: Nick Lowe
・”Brinsley Schwarz”時代にそのラストアルバム(7th)として出る予定で出なかった『It’s All Over Now』のために、NickとIan Gomm (g)が共作した曲。
・ニックの1st ソロ・アルバム『Jesus of Cool』(1978)からのシングル「Little Hitler」のB面として収録された。
・2nd ソロ・アルバム『Labour of Lust』のために、”Rockpile”のメンバーと再録音。
・1981年、なぜか三遊亭圓丈が「恋のホワン・ホワン」というタイトルでカヴァー。
ニック・ロウ:
1949年3月24日、英国サリー州ウォルトン・オン・テムズ生まれ
1967年、パブリック・スクール時代からの友人、ブリンズリー・シュオーツBrinsley Schwarzが作った”Kippington Lodge”に参加。
1969年、”Kippington Lodge”から”Brinsley Schwarz”と改名し、70年4月、1st アルバム『Brinsley Schwarz』リリース。
1971年、もう一人のギタリスト、イアン・ゴムIan Gommを入れる。
1974年、デイブ・エドモンズDave Edmundsのプロデュースにより6th アルバム『The New Favourites of... Brinsley Schwarz』リリース。収録曲の「(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding」は後にエルヴィス・コステロがカヴァーしヒットする。
1975年、”Brinsley Schwarz”解散。
 その後、デイヴ・エドモンズらと”Rockpile”を結成し活動。
1979年、「Cruel to Be Kind(恋するふたり)」が全米12位、全英12位のヒット。
 Rockpile解散後は、ソロ活動やエルヴィス・コステロ、プリテンダーズらのプロデューサーとして活躍した。
Rockpile「When I Write the Book」
さっきとノリが似てるなと思ったら同じメンバー。奇妙な存在、ロックパイル。
∨1st アルバム『Seconds of Pleasure』(1980年10月発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:Nick Lowe and Rockpile
レーベル:F-Beat Records / Columbia (US)
アルバムは全米27位、全英34位

・AGT: Dave Edmunds, Billy Bremner
・lead vocal: Nick Lowe
ロックパイル:
Dave Edmunds – guitar, vocals, piano, organ
Nick Lowe – bass, vocals
Terry Williams – drums
Billy Bremner – guitar, vocals

1972年、デイブ・エドモンズが『Rockpile』というタイトルのソロ・アルバムをリリースし、ドラマーのテリー・ウィリアムズを誘い、”Dave Edmunds and Rockpile”を作り、ツアーを行う。
1974年、エドモンズが”Brinsley Schwarz”の6th アルバム『The New Favourites of... Brinsley Schwarz』をプロデュース。
1975年、エドモンズのソロ・アルバム『Subtle as a Flying Mallet』にニック・ロウが参加。
 ”Brinsley Schwarz”のマネージャーだったデイヴ・ロビンソンDave Robinsonとジェイク・リヴィエラJake Rivieraが「Stiff Records」を立ち上げ、ロウはその第1号アーティストとなる。Stiffはエドモンズとも契約を希望したが、エドモンズはリヴィエラとソリが合わず、76年にレッド・ツェッペリンの「Swan Song Records」と契約する。
1977年、エドモンズはロウとウィリアムズの協力を得て、ソロ・アルバム『Get It』をリリース。
 その後、3人はもう一人のギタリスト、ビリー・ブレムナーを誘い、”Rockpile”を結成する。
 エドモンズとロウという二人のフロントマンがそれぞれ別のレコード会社との契約をしているという形のため、Rockpileとしての活動は普通にはいかなかった。
1976〜77年、”Bad Company”のツアーでオープニングアクトを務める。
1978年3月にリリースされた、エドモンズの4th ソロ・アルバム『Tracks on Wax 4』はRockpileが全面参加。
 リヴィエラがStiff Recordsを離れ、ロウ、エルヴィス・コステロ、”the Yachts”を連れて、「Radar Records」へ移る。
1979年6月8日、エドモンズ5th アルバム『Repeat When Necessary』リリース。
 同年7月9日、ロウ2nd アルバム『Labour of Lust』リリース。
 いずれもRockpileの演奏によるもの。
1980年、エドモンズはSwan Songとの契約を完了し、同年10月、やっとRockpileの1st アルバム『Seconds of Pleasure』をリリース。
1981年、エドモンズとロウがうまくいかなくなり、解散。
Coldplay「Charlie Brown」
ジャカジャカ8ビートAGTはひとつの王道です。
∨第3弾シングル(2012年1月23日発売)
5th アルバム『Mylo Xyloto(マイロ・ザイロト(MX))』(2011年10月19日発売)収録
作詞・作曲:Guy Berryman, Jonny Buckland, Will Champion, Chris Martin/Enoxification and additional composition by Brian Eno/プロデュース:Markus Dravs, Daniel Green, Rik Simpson
レーベル:Parlophone (UK), Capitol (US)
全英22位 アルバムは全英・全米1位(34カ国で1位)、オリコン3位

・AGT: Chris Martin
コールドプレイ:
Chris Martin – lead vocals, piano, rhythm guitar, keyboards, harmonica
 1977年3月2日、イングランド・デヴォン州生まれ
Jonny Buckland – lead guitar, backing vocals, keyboards, piano
 1977年9月11日、ロンドン生まれ
Guy Berryman – bass, backing vocals, keyboards, mandolin, harmonica
 1978年4月12日、スコットランド生まれ
Will Champion – drums, percussion, backing vocals, guitar, piano, keyboards
 1978年7月31日、イングランド・ハンプシャー生まれ
Phil Harvey – creative director (recognised by Coldplay as their fifth member)
 1976年8月29日生まれ

「University College London(=UCL)」の学生4人が1996年に結成した。
クリス・マーティンとジョニー・バックランドは96年9月、大学のオリエンテーション期間に出会った。2人はバンドを結成。やがて2人のクラスメートだったガイ・ベリーマンが参加。97年にはバンド名を”Starfish”と変え、小さなクラブで演奏し始める。
 マーティンはまた、古くからの友人で、オックスフォード大学でクラシック音楽を学んでいるフィル・ハーヴェイにマネージャーとなってくれるよう依頼した。現 やがてウィル・チャンピオンが加わり、バンド名は”Coldplay”へと再変更された。
1998年、EP『Safety』を500枚リリース。ほとんどは友人やレコード会社に配布した。
1999年、1st シングル「Brothers & Sisters」リリース。
 同年上旬、大学での最後の試験を終え、Parlophoneと契約。
 同年10月、EP『The Blue Room』リリース。
2000年6月26日、シングル「Yellow」リリース。全英4位のヒット。
 同年7月10日、1st アルバム『Parachutes』リリース。全英初登場1位。
2001年2月、Brit Awardsにて、「Best British Group」と「Best British Album」を獲得。
 2002年のグラミー賞でも、「Best Alternative Music Album」を獲得。
2002年8月、2nd アルバム『 A Rush of Blood to the Head』リリース。シングル「Clocks」は2004年グラミー賞で「Record of the Year」を獲得した。
2005年6月、3rd アルバム『X&Y』リリース。2005年、世界で一番売れたアルバムとなった。
 同年8月に公開された米映画「The 40 Year Old Virgin(40歳の童貞男)」の中で、「おまえはコールドプレイを聞いているからゲイだ」というセリフがあり、話題となる。
2008年、Brian Enoをプロデューサーに迎え、4th アルバム『Viva la Vida or Death and All His Friends』リリース。これも2008年世界でもっとも売れたアルバムとなる。グラミー賞で、シングル「Viva la Vida」が「Song of the Year」および「Best Vocal Pop Performance by a Duo or Group」、アルバムは「Best Rock Album」と3部門で受賞した。
2011年10月、5th アルバム『Mylo Xyloto(マイロ・ザイロト (MX))』リリース。英米含め、34カ国でチャート1位となる。
2014年、6th アルバム『Ghost Stories』リリース。
2015年12月、7th アルバム『A Head Full of Dreams』リリース。
The Format「The First Single」
街でふと耳にして忘れられず、探して買った1枚です。
∨1st シングル(2003年10月14日発売)
1st EP『EP』(2002年8月9日発売)収録
1st アルバム『Interventions + Lullabies』(2003年10月21日発売)収録
作詞・作曲:Sam Means & Nate Ruess/プロデュース:R. Walt Vincent
レーベル:Elektra

・AGT: Sam Means(piano、keyboardも)
ザ・フォーマット:
米国アリゾナ州Peoriaで、小学校からの友人同士、ネイト・ルエス (vo)とサム・ミーンズ (p, key, g)が、2002年2月に結成。
2002年8月9日、1st EP『EP』を自主制作でリリース。収録曲「The First Single」がフェニックスのラジオ局KEDJで盛り上がり、メジャーレコード会社の関心を引く。Elektraと契約する。
2003年10月21日、1st アルバム『Interventions + Lullabies』をリリース。アルバム売上は10万枚を超えた。
 やがてElektraがWarner Bros. RecordsとAtlantic Recordsに吸収される。Atlanticは『Interventions + Lullabies』の宣伝には人も予算も割かず、次作の制作を促した。
2005年4月、2nd EP『Snails』リリース。
 次のアルバムは70年代ポップス的なものにしようと、”Redd Kross”のスティーヴン・マクドナルドSteven Shane McDonaldをプロデューサーに招くが、Atlanticの幹部はそのデモを聴いて気に入らず、契約を終了してしまう。
2006年7月、自主レーベルThe Vanity Labelより、2nd アルバム『Dog Problems』をリリース。
2008年2月4日、活動休止を告げる。ミーンズはソロワーク、およびシンガー、ミシェル・ダ・ローザMichelle DaRosa(”Straylight Run”)と”Destry”を結成。
 ルエスはアンドリュー・ドストAndrew Dost(”Anathallo”)およびジャック・アントノフJack Antonoff(”Steel Train”)と”fun.”を結成。彼らはやがて「We Are Young」(2011年9月)と「Some Nights」(2012年6月)という大ヒットを生み出す。
竹内まりや「明日の私」
アレンジ、ATGはもちろん山下達郎
∨23rd シングル(1994年3月25日発売)
作詞・作曲:竹内まりや/編曲・プロデュース:山下達郎
レーベル:MOON RECORDS
オリコン19位

・AGT: 山下達郎
・bass: 伊藤広規/percussion: 浜口茂外也 他はすべて山下達郎の一人技。
・「東京ビューティーセンター」と「ポッカサッポロフード&ビバレッジ」のCMに使用。
・アルバムでは『Impressions』(1994)にのみ収録されている。
たけうち まりや:
1955年3月20日、島根県簸川(ひかわ)郡大社町(現出雲市)生まれ。生家は出雲大社正門前の老舗旅館「竹野屋旅館」。
慶應義塾大学文学部の英文学科へ進学。音楽サークル「リアル・マッコイズ」に参加。リーダーは杉真理だった。
1978年11月25日、RCA/RVCより、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。大学中退。
1979年8月、3rd シングル「SEPTEMBER」リリース。年末には第21回日本レコード大賞新人賞を獲得(最優秀新人賞は桑江知子「私のハートはストップモーション」)。
1980年2月、資生堂化粧品CMイメージソングとなった、4th シングル「不思議なピーチパイ」リリース。オリコン3位(初のトップ10入)。
1981年、一時休業を宣言。
1982年4月、山下達郎と結婚。
1984年4月、アルファ・ムーンより、全曲自身の作詞・作曲&山下達郎プロデュースによる6th アルバム『VARIETY』リリース。初のオリコン1位。
1994年7月、ベストアルバム『Impressions』リリース。オリコン1位、300万枚の大ヒット。
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2014年9月、11th アルバム『TRAD』リリース。オリコン2週連続1位。第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞。
 同年11月から12月にかけて、1981年以来33年ぶりに、6都市9公演の全国ツアーを行う。
矢野顕子「おてちょ。(Drop me a Line)」
AGTのセッションワーク数(おそらく)日本一の吉川忠英の鋭いカッティング♪
∨アルバム『峠のわが家』(1986年2月21日発売)収録
作詞:矢野顕子、ピーター・バラカン/作曲:矢野顕子/編曲:坂本龍一/プロデュース:矢野顕子&坂本龍一
レーベル:MIDI

・AGT: 吉川忠英
・e-guitar: Eddie Martinez(デイヴィッド・リー・ロス・バンド)/keyboards: 坂本龍一
・「お手紙ちょうだい」の略。”Drop me a line”も同じ意味
・MIDI移籍後初アルバム
Meja「All 'bout the Money」
From スウェーデン。ナイス・グルーヴにしてナイス・アレンジ♪
∨7th シングル(1998年3月9日発売)
2nd アルバム『Seven Sisters』(1998年2月5日発売)収録
作詞・作曲:Meja, Douglas Carr/プロデューサー:Douglas Carr
レーベル:Columbia
スウェーデン4位、ノルウェー3位、全英12位、全米37位 アルバムはスウェーデン8位、ノルウェー1位、オリコン6位

・AGT: Douglas Carr(drums、synth、lapsteelも。彼もスウェーデン人)
・自身最大のヒットシングル
メイヤ(本名:Anna Pernilla Torndahl):
1969年2月12日、スウェーデン・ストックホルム郡ニュネスハムンNynäshamn生まれ
1995年、”Ace of Base”のLasse KarlssonをマネージャーにDouglas Carrをプロデューサーにソロ・アルバムの制作に入る。
1996年、1st アルバム『Meja』リリース。
1998年2月、2nd アルバム『Seven Sisters』リリース。
1999年、マイアミでRicky Martinのデビュー・アルバム『Ricky Martin』に参加。「Private Emotion」をデュエットする。
2000年、3rd アルバム『Realitales』リリース。
2004年、4th アルバム『Mellow』リリース。
2009年10月、5th アルバム『Urban Gypsy』リリース。
2010年、スタジオ・ジブリへのトリビュート・アルバム『AniMeja Studio Ghibli Soundtracks』リリース。
2015年、6th アルバム『Stroboscope Sky』リリース。
Nelly Furtado「Manos Al Aire」
ポルトガル系カナダ人。スペイン語歌詞。これもナイス・アレンジ♪
∨第1弾シングル(2009年6月29日発売)
4th アルバム『Mi Plan』(2009年9月11日発売)収録
作詞・作曲:Nelly Furtado, Alex Cuba, James Bryan/プロデュース:Nelly Furtado, James Bryan
レーベル:Universal Music Latino
ドイツで2位 アルバムは全米39位、ビルボードTOPラテン1位、カナダ20位、ドイツ5位

・AGT: James Bryan(dr-prgm, key, engineerも)
・スペイン語。タイトルの意味は「Hands in the Air」=”I surrender”。英語よりスペイン語のほうがこの歌詞と相性がよいと判断したという。
ネリー・フルダード:
1978年12月2日、カナダ、ブリティッシュ・コロムビア州、Victoria生まれ。
ポルトガル系カナダ人。父親はポルトガルの民族音楽""ファド""のミュージシャン。
2000年10月24日、アルバム『Whoa Nelly! (ネリー・ファータド!) 』でデビュー。""カナダのグラミー賞""と言われるジュノー賞で主要部門を独占。グラミー賞では、「Beat New Artist」、「Song of the Year」(「I'm Like A Bird」)他4部門でノミネートされ、「Best Female Pop Vocal Performance」を受賞。世界で600万枚を売り上げた。
2003年11月、2nd アルバム『Folklore』リリース。
2006年6月、3rd アルバム『Loose』リリース。全米1位、カナダ・ドイツ他1位、全英4位。
2009年9月、スペイン語のアルバム「Mi Plan」をリリース。
2010年2月12日、バンクーバー・オリンピック開会式にブライアン・アダムスとともに登場し、「Bang the Drum」をデュエットした。
2012年9月、5th アルバム『The Spirit Indestructible』リリース。
2017年3月、6th アルバム『The Ride』リリース。
Youssou N'Dour「Set (Clean)」
今度はセネガル。後半のAGT高速カッティングはすごい♪
∨アルバム『SET』(1990年発売)収録
作詞・作曲:Youssou N'Dour & Habib Faye/プロデュース:Michael Brook
レーベル:Virgin Records

・AGT: Pape Oumar Ngom(クレジットはrhythm guitar。他にもguitarクレジットは何人か)
・演奏:”Le Super Étoile de Dakar”+ゲスト
ユッスー・ンドゥール:
1959年10月1日、セネガル、ダカール生まれ。
西アフリカの代表的な民族であるセレール族出身で、古くから伝わる音楽や思想を伝承する「グリオ」の家系に生まれ育つ。
セネガルの伝統音楽にさまざまな民族音楽や欧米のポップ・ミュージックのエッセンスを加えた「mbalax(ンバラ)」という音楽ジャンルを確立した。
12歳から数年間、1970年代初頭のダカールで最も人気があった”Star Band”で活躍した。
1979年、エトワール・ドゥ・ダカール (Étoile de Dakar)を結成。82年にシュペール・エトワール・ドゥ・ダカール (Super Étoile de Dakar)に発展。
1982年、英ヴァージン・レコードと契約し、ピーター・ガブリエルと出会い、ライヴやアルバム『So』(1986年)で共演する。
2004年、アルバム『Egypt』で第47回グラミー賞「Best Contemporary World Music Album」受賞2012年4月、セネガルの文化観光大臣に任命される。
The Script「Rain」
From アイルランド。曲作りがうまいロック・トリオ。
∨先行シングル(2017年7月14日発売)
5th アルバム『Freedom Child』(2017年9月1日発売)収録
作詞・作曲:Daniel O'Donoghue, Camille Purcell, Mark Sheehan, James Barry
/プロデュース:Danny O’Donoghue, Mark Sheehan, James ""Jimbo"" Barton/add. production: Andrew Frampton, Max Farrar
レーベル:Sony Music UK
アイルランド13位、全英15位 アルバムはアイルランド1位、全英1位、全米58位

・AGT: James "Jimbo" Barton(プロデューサー。drums、bass、programmingも)
スクリプト:
Danny O'Donoghue – lead vocals, piano, keyboards, guitar
 1980年10月3日、アイルランド・ダブリン生まれ
Mark Sheehan – lead guitar, vocals
Glen Power – drums, percussion, bass

オドノユーとシーハンは12歳の頃からの幼馴染でダブリンで育つ。
彼らはソングライティングとプロデュースのチームを作り、ロサンゼルスに渡り、Britney SpearsBoyz II Men、TLCらの制作に関わる。
アイルランド帰国後、ドラマーのパワーを誘い、3人で”The Script”を結成する。
2005年、ソニー傘下のPhonogenicレーベルと契約。
2008年4月25日、デビューシングル「We Cry」リリース。ラジオで受けがよく、アイルランド9位、全英15位となる。
 同年8月8日、1st アルバム『The Script』リリース。全英、アイルランドともに初登場1位となる。
 翌年の”Meteor Ireland Music Awards”で「Best Irish Band」と「Best Album」の2冠を獲得する。
2010年9月13日、2nd アルバム『Science & Faith』リリース。全英、アイルランドともに初登場1位。リード・シングルの「For the First Time」のMVにはボノBonoの娘、イヴ・ヒューソンEve Hewsonが出演している。
2012年9月10日、3rd アルバム『#3』リリース。リード・シングルの「Hall of Fame」は”The Black Eyed Peas”のラッパー、will.i.amをフィーチュアし、アイルランドおよび英国他数カ国で1位、現在までの彼らの最大ヒットとなった。
2014年9月15日、4th アルバム『No Sound Without Silence』リリース。
2015年9月、ワールドツアー「No Sound Without Silence Tour」終了後約1年間、活動を停止。その間オドノユーは喉の手術を行った。
2017年9月1日、5th アルバム『Freedom Child』リリース。全英、アイルランドともに1位。
Maroon 5「Girls Like You」
グルーヴィな単音フレーズAGTを延々と。
∨第5弾シングル(「Girls Like You ft. Cardi B」)(2018年5月31日発売)
6th アルバム『Red Pill Blues』(2017年11月3日発売)収録
作詞・作曲: Adam Levine, Starrah, Jason Evigan, Henry Walter (Cirkut)/プロデュース:Cirkut & Jason Evigan
レーベル:222 Records / Interscope Records.
全米1位、全英7位、オリコン55位 アルバムは全米2位、全英12位、オリコン10位

・AGT: Adam Levine, Jason Evigan(プロデューサー)
・シングルとして発売されたのはCardi Bのラップが入っているバージョン。
・keyboards他のSam Farrar加入(2016)後初のアルバム(7人編成で最初のアルバム)。
・アルバム・タイトルは、1999年映画「The Matrix」での、”taking the red pill or the blue pill”というシーンからヒントを得た。
マルーン・ファイブ:
1994年、ロサンゼルスのBrentwood School(中高一貫)に通っていたアダム・レヴィンAdam Levine (vo,g)、ジェス・カーマイケルJesse Carmichael (key)、ミッキー・マデンMickey Madden (b)、ライアン・デューシックRyan Dusick (dr)がバンド”Kara’s Flowers”を結成。
1997年、Reprise Recordsより、アルバム『The Fourth World』をリリースするが、さっぱり売れず、1998年初めには契約を切られてしまう。
その後、デューシックとマデンはUCLAに進学し、レヴィンとカーマイケルはニューヨークに移転してFive Towns Collegeに進む。
2001年、数レーベルから断られた後、「Sunday Morning」がOctoneレーベルのベン・バークマンBen Berkmanの耳に止まる。”Square”というバンドにいたジェイムズ・ヴァレンタインJames Valentine (g)が参加し、バンドは5人編成となり、名前を”Maroon 5”と改めた。
2002年6月25日、1st アルバム『Songs About Jane』リリース。
ヴァレンタインはジョン・メイヤーとBerklee College of Musicで友人だった。2002年、メイヤーのラジオ番組で二人は再会、『Songs About Jane』を聴いたメイヤーは感銘し、彼の2003年のツアーの前座にMaroon 5を迎える。
アルバムは少しずつチャートを上昇し、2004年9月には全米6位に達する。発売からTOP10入まで26ヶ月というのは史上最長。
2006年9月、ツアー生活のストレスで身体を壊したドラマーのデューシックがバンドを辞める。”Gavin DeGraw”や”B-52's”にいたマット・フリンMatt Flynnが後任として加入。
2007年5月、2nd アルバム『It Won't Be Soon Before Long』リリース。全米および全英1位の大ヒット。
2010年9月、3rd アルバム『Hands All Over』リリース。
2011年6月、Christina Aguileraをフィーチュアした「Moves like Jagger」を加えて、『Hands All Over』を再リリース。
2012年3月、カーマイケルがしばらく活動を休止することを発表。
 同年6月、4th アルバム『Overexposed』リリース。2010年からツアーをサポートしてきたPJモートンPJ Morton (key)が正式メンバーとして加入する。
「Overexposed World Tour」から新メンバーサム・ファーラーSam Farrarを帯同。彼らの古い友人でギターの他ベースやキーボードも担当する。
2014年4月、カーマイケルがバンドに復帰。
 同年6月公開のJohn Carney監督映画「Begin Again(はじまりのうた)」に、レヴィンが出演。
 同年9月、5th アルバム『V』リリース。
2016年、ファーラーが正式加入。7人編成となる。
2017年11月3日、6th アルバム『Red Pill Blues』リリース。
Sheryl Crow「Sweet Rosalyn」
キュートな声とハードなサウンドのギャップをAGTがうまくつないでいる♪
∨2nd アルバム『Sheryl Crow』(1996年9月24日発売)収録
作詞・作曲:Sheryl Crow, Jeff Trott/プロデュース:Sheryl Crow
レーベル:A&M
アルバムは全米6位、全英5位

・AGT: Jeff Trott(前作『Tuesday Night Music Club』(93)でも曲作りに参加。本アルバム全体に作曲・演奏で関わっている)
・本人はbass、e-guitar、pianoを担当。
・sax: Steve Berlin (Los Lobos)
・グラミー賞で、アルバムが「Best Rock Album」、シングル「If It Makes You Happy」が「Best Female Rock Vocal Performance」を受賞。
・「Love Is a Good Thing」の中で、""Watch out sister/Watch out brother/Watch our children as they kill each other/with a gun they bought at the Wal-Mart discount stores.""とウォルマートを批判しているので、ウォルマートではこのアルバムは販売されていない。
シェリル・クロウ:
1962年2月11日、米国ミズーリ州ケネット生まれ
小学校の音楽教師をしながら、コマーシャルのジングル制作(マクドナルドやトヨタなども)。
1987〜1989年、マイケル・ジャクソンの「Bad World Tour」でコーラスを担当、来日もした。その他、スティーヴィー・ワンダー、ベリンダ・カーライル、ドン・ヘンリーなど多くのアーティストのレコーディングに参加。
1990年、A&Mレコードと契約。
1992年、ヒュー・パジャムHugh Padghamのプロデュースによりデビュー・アルバムをレコーディング、1992年9月22日にセルフ・タイトルで発売される予定だったが、レコード会社との話し合いの末、無期延期となってしまう。オーバー・プロデュースが本人の気に入らなかったものと思われる。
1993年8月、31歳にしてやっとデビュー・アルバム『Tuesday Night Music Club』リリース。当初は動きが鈍かったが、1994年の秋になって、4月にシングルカットした「All I Wanna Do」が急に売れ始め、全米2位にまで上昇、1995年第37回グラミー賞では「Record of the Year」、「Best New Artist」、「Best Female Vocal Performance」の3冠を受賞、結果、アルバムは700万枚以上売り上げる。
1996年9月、2nd アルバム『Sheryl Crow』リリース。シングル「If It Makes You Happy」が大ヒットし、1997年のグラミー賞で、「Best Female Rock Vocal Performance」と「Best Rock Album」を獲得する。
1998年9月、3rd アルバム『The Globe Sessions』リリース。1999年第41回グラミー賞で「Best Rock Album」、「Best Engineered Album, Non-Classical」の2部門受賞。
2002年4月、4th アルバム『C'mon C'mon』リリース。シングル「Steve McQueen」が、2003年第45回グラミー賞で「Best Female Rock Vocal Performance」を受賞。
2005年9月、5th アルバム『Wildflower』リリース。
2008年2月、6th アルバム『Detours』リリース。
2010年7月、7th アルバム『100 Miles from Memphis』リリース。
2013年3月、初のカントリー・アルバム『Feels Like Home』リリース。
Neil Young「Heart of Gold(孤独の旅路)」
背中を痛めていたから、AGTで座って弾けるように作った曲が……歴史的名作♪
∨シングル(1972年1月発売)
4th アルバム『Harvest』(1972年2月1日発売)収録
作詞・作曲:Neil Young/プロデュース:Elliot Mazer, Neil Young
レーベル:Reprise
全米1位、全英10位 アルバムも全米1位(2W)、全英1位

・AGT: Neil Young、Teddy Irwin(別途オーヴァーダビング)
・backing vocals: James Taylor, Linda Ronstadt(71年2月6〜8日、「Johnny Cash Show」にYoungとともに出演するためナッシュビルにおり、ついでに参加した)
ニール・ヤング:
1945年11月12日、カナダ・オンタリオ州・トロント生まれ。
カナダのマニトバ大学に進学し、「4次元フォーク・クラブ」に入る。そのクラブにジョニ・ミッチェルがいた。ゲス・フーのランディ・バックマンとも知り合う。
 ニールが結成した”マイナー・バーズ”というバンドにはリック・ジェームズがいた。
1966年、スティーヴン・スティルスらとともに”バッファロー・スプリングフィールド”を結成。
 脱退後、1969年1月、1st ソロ・アルバム『Neil Young』をリリース。ダニー・ウィットンDanny Whitten (g)、ラルフ・モリーナRalph Molina (dr)、ビリー・タルボットBilly Talbot (b)の3人により、ニールのバックバンドとして”Crazy Horse”が結成された。
 同年5月、2nd アルバム『Neil Young with Crazy Horse』をリリース。
 同年6月頃、”Crosby, Stills & Nash”に加入し、”Crosby, Stills, Nash & Young”となる。
1972年2月、4th アルバム『Harvest』リリース。米国、英国、カナダで1位を獲得した。 同年11月18日、ダニー・ウィットンがヘロイン中毒のため死亡。後任としてフランク・サンペドロFrank ""Poncho"" Sampedro (g)がクレイジー・ホースに加入。
 ゲフィン・レコードに移籍して、シンセサイザーやヴォコーダーを多用した『トランス』(1982年)、ロカビリーに特化した『エヴリバディズ・ロッキン』(1983年)といった異色作を続けてリリースし、1983年12月にはゲフィンが「ニール・ヤングらしくないアルバムばかり作っている」という理由でヤングを訴えた。ニールは、アーティストの自由を主張し、結局ゲフィンはヤングに謝罪した。
 1987年の『ライフ』でゲフィンとの契約を満了し、古巣のリプリーズ・レコードに復帰した。
・・・

次回の爆音アワーは・・・

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