【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#98 音
楽家・つんく♂の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

そのときの状況をきちんと把握して、い
かにかっこいい方向に自分を導けるか、
ということが僕のいう「ロック」なんで

より

つんく♂は、2014年に喉頭がんにより声帯摘出手術を受け、かつてのように歌うことが出来なくなってしまった。この記事では、喉頭がんと診断されてから、音楽家として復活するまでの過程が書かれている。つんく♂のスピリットを表した言葉が今回の名言。インタビュアーは、つんく♂を「音楽だけでなく、人生そのものを貫く哲学として、『ロックであること』という信条がある。声を失った今も、自分だからできる『ロック』を探し続けている」と捉えている。つんく♂の言葉は、「世の中には、ロックミュージシャンでも『ファッションとしてのロック』な人が多すぎる。洋楽を1万曲知っているとか、革ジャンを100着持っているとか、そういうことではなくて」と、ロックへの思いの深さを感じさせる。つんく♂は、これからも多くの人を楽しませるエンターテイナーであり、ロッカーであり続けるに違いない。

つんく♂(つんく)
1968年10月29日生まれ、大阪府東大阪市出身。音楽家、総合エンターテインメントプロデューサー。1992年、シャ乱Qのボーカルとして、シングル「18ヶ月」でメジャーデビュー。シャ乱Qでは4曲のミリオンセラーを達成する。1994年、『MBSヤングタウン』(毎日放送)で共演したFUJIWARAの楽曲『明日が来る前に』にてプロデュース活動を開始。1997年から、モーニング娘。をプロデュース。1999年、12cmCDシングル「TOUCH ME」でソロ・デビューを果たす。2000年、シャ乱Qの活動を休止。2001年、芸能活動、プロデューサーとしての活動においては「つんく♂」、作詞家、作曲家としては「つんく」となる。2002年、シャ乱Qのメンバーであるまこと、元LOWDOWNのこーじと共にTHE つんくビ♂トを結成。2006年、シャ乱Qの活動を再開。同年、総合エンターテインメント事務所『TNXティーエネックス株式会社』を設立。ゲームソフト『リズム天国』シリーズをプロデュース。2010年、ソロとしては11年ぶりのシングルとなった『To You』をリリース。2015年、「うまれてきてくれて ありがとう」で『第57回日本レコード大賞』作曲賞を受賞。2019年5月8日にメジャーデビューした男性5人組ユニットCUBERSのデビューシングル「メジャーボーイ」(キングレコード)の作詞作曲を担当するなど、現在も多岐にわたり音楽活動を続ける。

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