【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#96 ミ
ュージシャン・鮎川誠の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

やっぱりロックにアンテナ立てとるのは
、ロックの向こう側にある社会の変化も
知りたいちいうことやから

より

このインタビューでは、鮎川誠が初めて音楽と接した頃からプロのミュージシャンとして活動するまでについて事細かに語られている。常に鮎川の根底にあるのは、ブルースとロックへの熱い想い。鮎川は、大学に入れば思いきりロックができる気がしてたからという理由で九州大学に入学した強者である。「僕らはロックに憧れがあったし、ロックがすべてやった」、「めんたいロックだから福岡だからちいうても、なんの関係もない。個人が思い焦がれて音楽に向かうだけですよ」など、発言にロックが溢れている。そして、今回の名言は、鮎川がまだ福岡で活動する前の久留米時代(1967年以前)のロックへの姿勢を表現したものである。「ケルアックの『路上』は読まないかんとか、ギンズバーグもちょっとは齧っとかんととか」と語り、ビートニクなども取り込みつつロックを突き詰めていく。その道の研究家でもある鮎川の言葉が、ロックという概念の多様性を示してくれている。

鮎川誠(あゆかわまこと)
1948年5月2日生まれ、福岡県久留米市出身。ギタリスト、作曲家。ブルース、ロック、ルーツミュージックなどの研究家としても知られる。1970年代に博多を中心に巻き起こった「めんたいロック」ムーブメントを牽引した人物の一人。1970年、ブルースロック・バンド、 サンハウスのギタリストとして活動を始める。1976年、シーナと結婚。1978年、シーナ&ザ・ロケッツ結成。同年、シングル「涙のハイウェイ」でレコードデビュー。1979年、イエロー・マジック・オーケストラ(以下、YMO)のメンバーのバックアップを得て、アルバム『真空パック』を発表。同年、シングル「ユー・メイ・ドリーム」が、JALの『マイ・ハート・キャンペーン』のCMに起用されたことで脚光を浴びる。1980年、細野晴臣高橋幸宏によるプロデュースでYMO参加による、シーナ&ザ・ロケッツの3rdアルバム『チャンネル・グー』を発売。同年、YMO初の国内ツアーにおける福岡、神戸、京都、札幌、東京のライブにてゲスト・ギタリストとして参加。以降、約40年間にわたりロックを求道し続ける日本ロック界の生きる伝説である。2018年、デビュー40周年を記念した鮎川誠の監修・選曲によるベスト盤『ゴールデン☆ベスト EARLY ROKKETS 40+1』、『ゴールデン☆ベスト VICTOR ROKKETS 40+1』が発売された。

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