独唱科を受験してオペラ科へ!? メゾ
・ソプラノ歌手 秋本悠希の英国武者
修行

インタビュアーの個人的な思い出ばなしで恐縮ですが、5年ほど前に大学の学園祭で、とある美しい歌声のメゾ・ソプラノ歌手に出会いました。シュニトケのオラトリオ『長崎』という、当時まだ日本では一度しか上演されたことがなかった難曲において、ロシア語によるソロを堂々と歌い上げたのは、その頃東京藝術大学の修士課程に在学していた秋本悠希(あきもと・ゆき)さん。


悠希さんは2018年秋に英国王立音楽院(ロイヤル・アカデミー)のオペラ科に入学されたのですが、純日本人がオペラ科に合格した例は、知る限りでは悠希さんが初めて。藝大で出会った憧れの先輩と、わたし自身も学生として通うロイヤル・アカデミーで再会することができ、これはぜひインタビューをしたいと思いました。
今回は、アカデミーの学生すら詳しく知らないオペラ科の活動の様子や、悠希さんが声楽に出会ってから留学を決めるまでの軌跡についてうかがいます。
秋本 悠希(あきもと ゆき)略歴
6歳よりピアノを、14歳より声楽を始める。京都市立音楽高等学校卒業。東京藝術大学音楽学部声楽科及び同大学大学院修士課程声楽科(独唱)卒業。現在東京藝術大学院後期博士課程声楽科(独唱)を休学中。平成30年度文化庁新進芸術家海外研修制度(長期)研修員として2018年9月よりイギリス、ロイヤルアカデミー(RAM)修士課程オペラ科ディプロマにて留学を開始。
海外の劇場の空気に触れて
オペラ『セメレ』で アイノー を演じる悠希さん(引用:ロイヤルアカデミーFB)
―2018年9月から、英国王立音楽院(以下、アカデミー)オペラ科での留学をスタートされました。藝大では独唱科にいらっしゃると思うのですが、なぜアカデミーではオペラを学ぼうと思われたのですか。
藝大の修士のときに、ウィーン国立歌劇場の来日公演(2016)でカヴァーキャストをさせていただいたことがあります。カヴァーキャストとは、キャストが体調などの都合で出演できなくなったら代わりを務める人のことで、もしものときは即対応できるように、すべての稽古を見学して立ち回りを覚えます。
稽古の中でメンバーの雰囲気に触れて、和気藹々(あいあい)としていて和やか、けれどもレベルが高い作品をつくっている様子にすごく興奮しました。なんだかとてもわくわくして…あんなところで働きたいと強く思いました。
また毎年上野でおこなわれる『東京・春・音楽祭』に出演したときに、「ニーベルングの指環」のプロジェクトで海外の音楽家と共演しました。学部時代まではあまりオペラに強い関心は抱いていなかったのですが、こういった経験を通して、オペラの中で歌うこと、そして海外で経験を積むことに非常に興味が湧きました。
そのとき、どうせオペラの経験がほとんどない状態から始めるなら、環境も一新して、海外でゼロから挑戦してみたいとも思うようになりました。
―留学したい、という気持ちが芽生えて、そこでイギリスを選んだ理由は何でしょう?
博士課程に入った頃、アカデミーの教授を務めていらしたニール・マッキー(Neil Mackie)先生が藝大でマスタークラスを開くことになりました。先生の指導といいお人柄といい強く惹かれるものがあって、先生が指導されている英国王立音楽院ってどんな学校だろうと調べてみたら、カリキュラムも充実してるし何だかすてきな学校だな、と思いました。
しかも幸い日本で入試を受けることができるということでひとまず挑戦したのですが、言葉をつかさどる声楽科は語学のレベルを厳しくチェックされて、実技試験の段階で語学資格がなかったから、ということで落とされてしまいました。これは戦略的にいこうと考えて、そこから翌年の再受験に向けて計画を立てました。留学するなら今が最後のチャンスだとも思ったので、逃したくなかったのです。
(引用:アカデミーFB)
日本で受験できるのはありがたい反面、試験官はすべての専攻で共通して2人だけなので、声楽の先生に審査してもらえるとは限りません。しかもマッキー先生が退官されてしまったタイミングだったので、まずは現地で音楽院の先生に体験レッスンを受けてわたしのことを知ってもらい、その上でロンドンで受験したほうが良いのではないかと考えました。
音楽院のホームページには、すべての教授のプロフィールとメールアドレスが掲載されているので、とりあえず興味を持ったすべての先生にメールを出してみました(笑)。
―留学生はみなさんたくましい一面がありますが…それはすごい行動力ですね!
お返事が来なかったメールも多いですが、何人かの先生は返してくださいましたし、またマッキー先生もメゾ・ソプラノの先生をご紹介くださり、結果的にその先生のレッスンを受けることができました。
アカデミーでは修士課程で学ぼうと思い、1年目は独唱のコースにして暮らしにも慣れながら自分のペースで学んで、2年目でオペラ・コースに変更できたらいいなと考えました。そこで独唱科を受験したところ、「今日の夕方にオペラ科の入試もあるのだけど、来られますか」と聞かれ「はい」と。オペラ科は実技試験が一次、二次とあって、わたしが受けたのは一次試験でした。後日「二次試験に来られますか」と連絡をいただいたのですが、当初予定していなかったことなので、帰国のフライトは二次オーディションの日よりも前の日付で。だから二次試験は行けませんと言ったんです。
そして最終的な合格発表を日本にてオンラインで受け取り、「あなたは出願していないコースに合格しました」とお知らせが来まして。独唱科を受けたはずが、ふたを開けたらオペラ科で合格していました。でもいずれはオペラを勉強したかったわけだし、アカデミーに入れるならどちらのコースでも嬉しいと思ったので、喜んで行きます、と(笑)。
王立音楽院のオペラ科ってどんなところ?
―オペラ科の活動内容を教えていただけますか?
アカデミーのオペラ科は「 Royal Academy Opera(RAO)」と呼ばれ、年に3回オペラ公演をおこないます。この公演は抜粋ではなく全幕で、学校内の専用劇場で行われる本格的なものです。配役は学校から振りわけられ、公演前は約1か月ほど朝から晩まで稽古漬けの日々になります。
オペラの稽古中(引用:アカデミーFB)
公演の合間で稽古がないときは、Acting と呼ばれる演技の指導や、Movement と呼ばれる体を動かす授業があります。Movement ではヨガなどの体をほぐす動きはもとより、音楽に合わせて自由に体を動かしてみたり、言葉を使わずに体の動きだけで何かを説明してみたり、ユニークでおもしろい授業です。
またもちろん歌の個人レッスンもあります。生徒ひとりに対して、歌唱指導と、歌の伴奏を専門とするピアニストから受けるコーチングというものもあり、それぞれ担当の先生がつきます。どちらも毎週レッスンがあるので、週に2回は必ず指導を受けられて、それに加えてランダムで異なる先生のレッスンも受けることができます。
こういった様々な種類の授業が組まれているため、前の週まで予定がわからないのですが、毎日何かしらの活動があって、とても充実した日々です!
(引用:アカデミーFB)
―日本人にとって、声楽で英国留学というのはあまり馴染みがないかと思うのですが、ずばり強みはなんでしょう。
イギリスは本当に多民族国家なので、英語はもちろんですし、いろんな言語でオペラをできる点が強みです。冬学期のオペラはヘンデルだったので英語でしたし、春学期(1月から3月)の演目はチャイコフスキーとラヴェルだったので、チャイコフスキーに出演したわたしはロシア語での歌唱に取り組みました。
授業の中には言語指導もあって、各国の言葉をその国から来ているネイティヴに学べるんです。言語の指導を受けながら、もっとも口に馴染んでいるはずのイタリア語すら発音が甘いと感じます。もちろん日本でも学んできたものの、どうしてもカタカナで考えてしまっていたんですよね。今は IPA という発音記号を使って学んでいます。
高校受験をしようと思ったら…
―そんな悠希さんは、どういったきっかけで声楽を始められたのですか。
もともとはピアノで音大に行きたいと考えて、高校を選ぶときに将来を見据えて音楽を学べる学校を検討しました。当時は滋賀に住んでいて、あるとき京都市立音楽高等学校(現・京都市立京都堀川音楽高等学校)の先生にご紹介いただいた方のご自宅レッスンを受けに行きました。ところがそのレッスンで、ピアノの先生から「今のレベルでは周りに追いつけないのではないか」と言われ、「あなたの声は声楽に向いていそうだから受験してみたら」と声楽での受験を勧められたんです。
―まさかの出来事ですね! それはかなりショックだったと思うのですが…それでも音楽高校を受験したいという思いは揺るがなかったのですか。
先述の先生が、声楽で入学したあとでピアノに転向することもできると教えてくださったので、まずは受験にチャレンジしてから考えてみようと思いました。
でもそれまで人前で歌うことはむしろ苦手に思っていて、小学校の歌のテストすらとても嫌だったので、まさか自分が歌うことになるとは思いもしませんでした。しかも受験の課題曲が、コールユーブンゲンと任意のイタリア歌曲と童謡『ドナドナ』の3つで、ドナドナの歌詞が歌詞だけに、家で練習をしていたら家族からちょっと冷やかされたりもして、それは少し参りましたね(苦笑)。
―そして堀川音楽高校に入学されます。結局転科はされなかったのですね。
歌を始めてみたら、ピアノに向き合っていた頃は内向的だった自分の性格が、徐々に開いていくのを感じたんです。学ぶうちに、自分は歌うことが好きかもしれないと思うようになりました。また、わたしは手首の骨が生まれつき腱鞘炎になりやすい形で、長時間の練習に向かないこともあって、声楽でいってみようと思いまいた。
でも声種は変更しました。高校受験はソプラノとして受けたんです。ただ自分はもともと音域が狭いと感じていて、高いほうの音も G(ソの音)くらいまでしか出なかったので、大学受験をするときにアルトを選びました。藝大の学部はソプラノ・アルト・テノール・バスの4種での募集で、修士課程になるとメゾ・ソプラノとバリトンを選択できます。修士課程からはメゾ・ソプラノとして活動しています。
声種を決めるのは難しいことで、のちにイギリスで受験をしたときには、試験官の先生方は「あなたの声質はソプラノだ」って言うんです。低い音域というのは声帯の長さに寄るものなので、その長さを考えると「この世に“本当のアルト”や“本当のバス・バリトン”はいない」と言われているんですよ。
イギリスでの奮闘
(引用:アカデミーFB)
―留学に向けて、準備をする中で苦労したことはありますか?
王立音楽院へ入学するには IELTS(アイエルツ)という語学試験で規定の点数をパスする必要があります。まず二度ほど挑戦したものの、スピーキングのテストの点が振るわず、知人に相談したら語学学校を勧められました。
調べてみると、都内の語学学校とイギリスにある語学学校とで授業料にさほど変わりがなく、むしろイギリスのほうは授業数が多くてコストパフォーマンスが良い! と。語学の成績の提出期限が4月末に迫っていたので、2月に思い切ってイギリスのオックスフォードに飛び、1か月半のあいだ語学学校でみっちり勉強しました。
でもそのときの入国審査で、運悪く気難しい審査官に当たって、20分は問答を繰り返しました。1か月半滞在できる資金があることを証明できるかと迫られて、思いもよらない質問に焦ってしまいました。長期滞在のときは、念のため残高を証明できるものがあると安心なようです。結局入国できましたが、この出来事がかなりトラウマで、留学準備の中で一番つらかった経験です(笑)。今でも現場となったヒースロー空港に行くときは緊張してしまいます!
―ヒースロー空港の入国審査は世界一厳しいと悪名高いですよね…。9月にいよいよ留学生活を始められたときは、どんな気持ちでしたか?
わたしは藝大の院生時代に、“東京藝術大学国際交流会館”という留学生のための寮にチューターとして住み込んで、留学生の役所の手続きや病院などのサポートをしていました。自分が渡英して留学生になったとき、交流会館で共に暮らしていた留学生たちの心細さがよくわかったし、優しくしてくれる現地人が本当にありがたいと思いました。
音楽院のオペラ科の友人たちの英語はときどき理解するのが難しいこともあるけれど、でもみんなすごく優しくて親切なので、みんなの人柄に救われています。あたたかくて、愉快な仲間たちです。
―新しい環境で日々研鑽を積まれて、もちろん大変だとは思いますが、お話しぶりから充実した様子がうかがえます。最後に、将来的にはどんな風に活動したいか、悠希さんのビジョンを教えてください。
わたしにとってウィーン国立歌劇場の公演は忘れられない体験です。だから、わたしもいつかは歌劇場で活躍できたらいいな、と思います。あんなふうに和気あいあいと作品を作り上げる劇場に憧れます。
イギリスは住みやすいですし、学ぶ環境として選んだことはすごく良かったなと思っています。でもまだあまりほかの国のことを知らないので、いろいろな場所を見てみたいという気持ちもあります。
今は日々のオペラ科の活動がめまぐるしくて、それに付いていくのに必死です。先のことはまだわからないけれど、できればいろいろな国の人が集まる環境でやってみたいですね。まずは今いる環境での活動に精一杯取り組んで、たくさんのことを吸収したいです。
今回インタビューの中でご紹介した公演中の写真は、2018年11月にロイヤルアカデミーで上演されたオペラの様子です。わたしも観劇に行き、まるでネイティヴのようにきれいな英語でヘンデルを歌い上げる悠希さんの姿に圧倒されました。またインタビューを通してお人柄に触れて、その謙虚な姿勢と、自分の道を自分で切り拓くしなやかな芯の強さを感じました。
オペラ科は英国王立音楽院の中でも、とりわけ活動が多く忙しい科だと言われています。カリキュラムはさぞハードなことと思いますが、それをひとつひとつ丁寧に前向きにこなしている悠希さんは、いつか世界の劇場で、すばらしい歌声を聴かせてくださることでしょう…!
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