デュアン・オールマンの名演が
収録されたボズ・スキャッグスの
2ndソロ『ボズ・スキャッグス
&デュアン・オールマン』
フェイム・スタジオとマッスル・
ショールズ・サウンド・スタジオ
のちにオールマン・ブラザーズバンドを結成するデュアン・オールマンも10代の頃からフェイム・スタジオに入り浸り、非凡なギターの腕を買われて、スワンパーズの面々とともに多くのセッションに参加している。彼の死後(71年、24歳で急逝)にまとめられた『アンソロジー』(‘72)と『アンソロジー Vol.2』(’74)には、フェイム・スタジオとマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでのセッションが数多く収録されている。
当時トラフィックを率いていたスティーブ・ウインウッドは、大金をはたいてスワンパーズのメンバー数人を後期トラフィックのメンバーとして迎え入れているほどである。また、レーナード・スキナードの代表曲(というか、アメリカンロックの代表曲)の「スイート・ホーム・アラバマ」では、マッスル・ショールズにはザ・スワンパーズっていうグループがいると歌われている。
マッスル・ショールズの魅力は、2014年に日本でも公開されたドキュメンタリー映画『黄金のメロディ マッスル・ショールズ』(‘13)で多くのアーティストのインタビューを交えて詳しく紹介されているので、興味のある人は廃盤にならないうちにDVDを入手してもらいたい。
ボズ・スキャッグスの歩み
その後、アメリカに戻ってから旧友のスティーブ・ミラーがフロントを務めるスティーブ・ミラー・バンドのギタリストでヴォーカルも担当、『未来の子供達(原題:Children of the Future)』(‘68)と『セイラー』(’68)の2枚に参加する。その後は独立し、ボズ・スキャッグスの名でバンドを率いて活動する。ライヴパフォーマンスに注目が集まり、地元サンフランシスコでは多くのフェスに参加するなど、彼の名前はよく知られるようになる。そして、アトランティック・レコードに声をかけられ69年に『ボズ・スキャッグス』(日本盤は『ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマン』というあざといタイトルが付けられている)をリリースする。