【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#85 シ
ンガーソングライター・谷山浩子の言

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

自分がどういう人間で、どういうものが
好きかというのが、まだはっきりわかっ
てなかったのかもしれない

より

誰もが、特に表現者の多くは、スランプに陥る経験をするだろう。谷山浩子の何気ない言葉に、スランプから抜け出すヒントが隠されている。この記事は、谷山のデビュー40周年を記念した企画。インタビュアーは、70年代終わり頃の、谷山が曲を書けなかったスランプの時期について話をふる。「スランプの頃までは、10代が続いていたような感じで、世の中にあるものにすごく影響を受けていて、現場のディレクターにも“売れる曲を書いて”と言われたりして、混乱していた」と言う。スランプから抜け出すには、自分がどういう人間で何が好きかを知ることが大切だということのようだ。7枚目のアルバム『時の少女』(1981年)の収録曲は「それがかなりわかってきて作ってるんです」と振り返っている。

谷山浩子(たにやまひろこ)
1956年8月29日、神奈川県横浜市出身。谷山浩子のシンガーソングライターとしてのスタートは、作詞・作曲を始めた‬7歳の頃。キングレコードに自作曲を持ち込み続けた結果、1970年、14歳の時に「僕たちの秘密」がベイビーブラザーズ(後のフィンガー5)のシングルB面曲に抜擢される。1972年、シングル曲「銀河系はやっぱりまわってる」でデビュー。同時に発表したアルバム『静かでいいな~谷山浩子15の世界~』の収録曲は、全て中学時代に作った曲だという。‬自身でもデビューが3度あると言っており、2度目は1975年発表の「お早うございますの帽子屋さん」(1974年、第7回ポピュラーソングコンテスト入選)。3度目にあたる1977年発表の「河のほとりに」から本格的に音楽活動を始める。1981年、アルバム『時の少女』からの3作を、橋本一子が主な楽曲の編曲を担当。ジャズピアニストでシンガーの橋本一子から谷山は多大な影響を受け、キーボーディストでプロデューサーの石井AQ、ヴァイオリニストで編曲家の‪斎藤ネコの人脈へと繋がる。‬‬「恋するニワトリ」「まっくら森の歌」「しっぽのきもち」など、NHKの『みんなのうた』で放送された童謡も多い。2017年の音楽活動45周年の時点で、自作曲は700曲を越えた。2019年4月13日、『府中の森芸術劇場 ふるさとホール』にて、2019年4月20日、『松戸・森のホール21 小ホール』にて、‬『谷山浩子 弾き語りコンサート2019』を開催予定。

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