L→R ヨコタ シンノスケ(Key&Vo)、カワクボ タクロウ(Ba)、ヤマサキ セイヤ(Vo&Gu)、オカザワ カズマ(Gu)、ソゴウ タイスケ(Dr)

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ライヴ活動を行なうアーティストの拠点となるライヴハウス。思い入れ深く、メンタル的にもつながるライヴハウスについて、活動を始めた当時を振り返りながら語ってもらった。もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?

L→R ヨコタ シンノスケ(Key&Vo)、カワクボ タクロウ(Ba)、ヤマサキ セイヤ(Vo&Gu)、オカザワ カズマ(Gu)、ソゴウ タイスケ(Dr)

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キュウソネコカミ プロフィール

キュウソネコカミ:2009年12月、大学の軽音楽部内で就職活動に敗れた者たちを中心に兵庫県西宮市で結成。10年よりライヴ活動を開始。エッジが効いたダンサブルでキャッチーなサウンド、身の周りの事柄への愚痴や文句を込めた世界観のない歌詞、エモーショナルで逆ギレ気味なMCとライヴスタイルにステージ下での腰の低さも合わさって、アンダーグラウンドからオーバーグラウンドまで比較的いろいろなジャンルのバンドとの対バンを重ねる。そして、14年6月、ミニアルバム『チェンジ ザ ワールド』でメジャーデビューを果たした。キュウソネコカミ オフィシャルHP

ライヴハウスのあの熱狂が
正解みたいな感覚がある

2009年にキュウソネコカミを結成した当時は、どういうバンドをやりたいと思っていましたか?

ヤマサキ
the telephonesとThe Mirrazみたいになりたかったですね。Arctic Monkeysを聴いて作曲を始めたんですけど、少し経った時にthe telephonesとThe Mirrazが出てきて、“この2バンド、やべぇ”と思ってめちゃくちゃライヴに行ってました。
ヨコタ
セイヤと仲が良かったから“最後に1回、バンド組もう”みたいな感じで、大学の卒業のタイミングで組んだんですけど、その時からセイヤの作る曲は部活の先輩の悪口とか、今みたいな感じだったんですよ。部活が縦社会だったのであんまり先輩に歯向かえないっていうか…だから、それを歌にして、部内ライヴで披露して、みんなから喝采を浴びてました(笑)。キュウソネコカミになって僕のシンセを入れ始めた時は、カッコ良い音楽をやろうと思ったりもしたけど、一番は“対バンの誰よりも目立つ”っていう気持ちがありましたね。客がいなくてもその日の対バンの中で一番目立つ…面白いなのか、カッコ良いなのか、強いなのか分かんないけど、とにかく“目立つ”っていうのをルールにしてました。だから、客もいなかったのに反省会をすっげぇしてて。フロアーに客がいなくても、僕たちは他のバンドまで全部観てましたし。それで“こうはなりたくない”とか(笑)、“自分たちは何で駄目なのか?”とかをみんなで話して。

“目立つ”という点では、やっていることや意識していることは今もそんなに変わってないということですか?

ヨコタ
変わらないですね。“目立ってやろう”もあったけど、ちょっと調子乗ってる人たち…売れそうなカッコ良い音楽をしてても、“やってるだけ”みたいなのが嫌いだったんです。しかも、少ないお客さんに対して“こんなに来てくれてありがとう”とか言う様式美みたいなのもすごい嫌いで。そういうのを歌にするのは今も変わってないですね。
ヤマサキ
部活の時から“弱そうな奴が強そうな奴に勝つ”っていう構図がすごい好きで。バンド名もそれで“キュウソネコカミ”にしたし、ライヴハウスには全然売れてないけどとにかく怖そうな奴らがいっぱいいるんですよ。そいつらの中で俺らみたいなヒョロヒョロした奴が段ボールをぶっ潰したり、指から血を流しながらギター弾いたりして、終わったら打ち上げに出ずに帰るっていうのが最高に気持ち良くて。怖い奴らに“えっ、あいつら帰った…。なんやこの気持ち”みたいなふうにさせたかったんです。実際の気持ちは知らないですけど(笑)。でも、だんだんそいつらを踏み台にして、いろんな先輩の企画ライヴに呼ばれるようになって。ただ、その時の俺は絶対に自分たちで企画はしないって決めてたんですよ。“ライヴに呼ばれるバンドでいたい”っていうのもあったし、呼ばれてそのイベントに出ても、めちゃくちゃやりにくくして帰ろうとしてたんです。それは悪い意味じゃないですよ。全力でライヴして、その日のメインのアクトを食うみたいな。そこからライヴパフォーマンスがどんどん確立されていきましたね。“その日の一番になる”っていうことに集中してました。
ヨコタ
ダイブしたいけどダイブできるほどの人数もいないから、メンバーを先に降ろしてそこにダイブしたりね(笑)。裏をかくっていうのが好きだったんですよ。今ではフェスに出るようにもなったけど、フェスのルールで“サークルモッシュを誘発させてはいけない”というのがあったら、“じゃあ、盆踊りだったらいいんですか?”みたいな感じでやったり。
ヤマサキ
昔からたぶんそう。大学の部活にもイベントの時とか先輩が決めた運営ルールがあったんですけど、“そこ、絶対通らへんやろ”みたいな隙間にも“ここには入らないでください”って警備をひとり付けなあかんみたいなこととかあって。その時は誰も文句言わなかったんですけど、自分が先輩になった時に“これは止めます!”ってそこを無人にしたりしましたね。これまで何年やってんねんって感じなんですけど、みんななぜか従いたがるんですよね。誰かが決めてるルールに。それを破った時に面白いことが生まれるんじゃないか…破るというか、“ルールの中でももっと面白いことあるのに!”“もっと効率良いことあるのに!”っていうのを見つけるのが好きでした。
ヨコタ
ライヴハウスなんかでは、そんな奴らの中から抜け出すっていうのが一個のキーワードで。
オカザワ
最初は神戸でめちゃくちゃライヴをやってたんですけど、その時も“ここからどう頭ひとつ抜けるか”っていうところをすっごい考えてたんですよ。
ヨコタ
打ち上げとかに行っても“ここにいる先輩から学ぶことないやろ”って、みんな薄々思ってたし(笑)。
ヤマサキ
なんか嫌だったんですよね。ヤンキーってやっぱりつるみ出すし、つるむだけやったらいいのに音楽性まで似たようなことをやり出すんですよ。流行ってもないのに洋楽崩れみたいなことをみんなでやり出すし。
ヨコタ
めちゃくちゃ言うな~! ええぞええぞ!
ヤマサキ
それにすごい苛立ってたから、逆にめっちゃ馬鹿になったんです、僕らは。馬鹿なパフォーマンスで、“やれるもんならやってみろ!”みたいな。
ヨコタ
でも、裏ではめちゃくちゃ真面目にやってて。絶対に楽屋はきれいにしたりとか、挨拶は絶対にするみたいなのは決めてましたね。

抜け出したかった場所から抜け出せたという感覚はいつ頃でした?

ソゴウ
2011年かな?
オカザワ
その時の神戸がすごい閉鎖的やったから、ここ以外でもやっていかなあかんって思って。で、大阪の火影-HOKAGE-っていうフロアーライヴしかできないライヴハウスで3マンとかでやらせてもらってて…それでもお客さんが20人とかの時がありましたね。その時にはいからさん(現在のマネージャー)が難波ロケッツでやったイベントに僕らが出て、はいからさんが“ちょっと一緒にやってみぃひん?”って。それでShangri-Laをブッキングしてもらったんですけど、俺らからしたらShangri-Laはthe telephonesとかを観に行ってた場所なんですよ。“すごい人気のあるバンドがやるライヴハウスなんや!”って認識でした。
ヤマサキ
バンド名の後ろに“(東京)”って書いてあるだけでテンションが上がったし。“うわっ、県外のバンドとできる!”って(笑)。
ヨコタ
関西のバンドとしかやったことがなかったんですよ。その時は東京の下北沢系の勢いがあって、関西ではそのあとにKANA-BOONとかが出てくるんですけど、ちょうどその間くらいだったんで、“今出てる東京のバンドって『出れんの!?サマソニ!?』で最後まで行ってた人なんちゃうん!?”とか“MV作ってるやん!”とか。
ヤマサキ
逆にバンド名は知ってたけど、“一緒にやってみたら全然良くないやん”ってのもあったわ(笑)。
ヨコタ
でも、はいからさんのイベントは本当にライヴが強いバンドしかいなかったから、 “今の感じのままやってたらあかんな”って気付いたのもShangri-Laでやり出した時やったんですよね。
オカザワ
うちのマネージャーはライヴ狂いだったんで、本当にライヴが良いバンドしか呼んでないから、そういうバンドと一緒にやらせてもらって成長していくっていう。
ヨコタ
“この中で目立つのは骨が折れるな”って思えるようなバンドもいたし。でも、そのうちにShangri-Laから呼んでもらえるようにもなって。それで初めてやった無料ワンマンがひとつのターニングポイントでしたね。

では、そんなShangri-Laのいいところは?

ヤマサキ
僕らがライヴで段ボールを潰すから、ゴミで出た段ボールを置いておいてくれてました。
カワクボ
“キュウソが使うやろ”ってな(笑)。
ヤマサキ
その当時、自分らで街に出て捨てられている段ボールを拾ってたんで。
ヨコタ
ちょうどいい大きさの段ボールってコンビニとかじゃ出てこないんですよ。ネピア(ティッシュ)のちょっとでかいやつが欲しいけど、買うのは無理やったから。
オカザワ
1カ所いいところを見つけたら、毎回“あるかな~”って覗いたりな。神戸の時はめちゃめちゃ探した!
ヨコタ
そうやって段ボールを置いといてくれるなんて、リスペクトがないと絶対やってくれないじゃないですか。俺たちにとっての超大事な武器だと分かってくれてるんですよ。すごいですよね、ハコからこんなふうに愛されるなんて。あと、礼儀とかも教えてもらったり。ライヴハウスの人ってまず褒めるところから入って、“次はこんなんもいいんちゃう?”とか言う人が多いんですけど、Shangri-Laのキイさんはそういうのが一切なくてマジのことしか言わん。
ヤマサキ
1回めっちゃキレられましたからね。
ヨコタ
キレられたって言うと向こうが勝手にキレたみたいになるけどな(笑)。めっちゃ怒られました。
ヤマサキ
ステージ上で“今日はこの感じを試しに来ました”みたいなことを言うたんですよ。そしたら、“ステージは試すとこじゃねぇ”って。“そんなんで来てるんやったら、もう二度と出るな”“お前らのライヴを観に金払って来てくれてる人を試すとかそういうのは止めろ”みたいな感じでめっちゃ怒られた。
ヨコタ
今でこそ、あの時はいかにキュウソに期待してたかっていうのを言ってくれるんですけど、その時は“うわ、めっちゃ怒ってますやん”ってなった(笑)。

そういったこととかをライヴハウスで学んできて、ライヴハウスからホール、アリーナクラスでライヴするようになった今、何か変化はありますか?

カワクボ
基本は一緒ですかね。そのライヴハウスで培ってきた、ひとりひとりに向けてやるっていうのがちゃんと基本にあって。大人数になっても、やっぱりひとりひとりの目線を大事にしてます。
ヨコタ
“でかいところでもライヴハウスみたいに”っていうのがずっと持っているテーマというか。今でこそホールやアリーナもやったりしてますけど、ああいう時も“どうやったらライヴハウスっぽくできるのか”ってことを一番に考えているし。ライヴハウスのあの熱狂が、俺らの中では正解みたいな感覚があるんですよね。

今の自分から当時の自分にアドバイスをしてあげるとしたらどういうことを教えてあげたいですか?

ソゴウ
しんどかったっていう記憶がないんですよね。毎回得られてたものが絶対にあったし、気付いたらお客さんが増えてたみたいな感じだったから。
カワクボ
言っておくなら、“今のほうがしんどいぞ”って感じやな。
全員
(笑)。
ヨコタ
まぁでも、自分たちの過去が辛い思い出に塗り替わってなくて良かった(笑)。
L→R ヨコタ シンノスケ(Key&Vo)、カワクボ タクロウ(Ba)、ヤマサキ セイヤ(Vo&Gu)、オカザワ カズマ(Gu)、ソゴウ タイスケ(Dr)

OKMusic編集部

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