【インタビュー】Lida&YURAサマ、「
執着しないのがPsycho le Cémuとい
うバンド」

Psycho le Cémuが12月8日の名古屋ボトムライン公演を皮切りに、ロールプレイングな世界観による東名阪ツアー<FANTASIA>を開催する。同ツアーではひとつのメロディと歌詞に対して3つのアレンジで異なるサウンドを構築した会場限定シングルCD「FANTASIA〜恋の幻想曲〜」「FANTASIA〜怒りの幻想曲〜」「FANTASIA〜勇気の幻想曲〜」のリリースも決定。自身初の三部作として届けられる。BARKSでは“FANTASIA”をキーワードに、Psycho le Cémuというバンドが生まれた必然性や、彼らの光と影に迫る。
インタビュー第一弾のDAISHI 前後編、インタビュー第二弾のseek&AYA編では、Psycho le Cémuを構成する要素からバンドの核を紐解きつつ、復活から現在に至る不可避性、そしてメッセージ色の濃い「FANTASIA」の核心を解き明かした。そして第三弾は、Lida&YURAサマ。バンドのリーダーであり、サウンド&プレイの中心的存在のLida。ドラマーでありながら、ステージ上を所狭しと歌って踊る一方、プライベートではエアロビクスインストラクターでもあるなど、飛び道具的存在のYURAサマ。東名阪ツアー<FANTASIA>開幕直前に公開するインタビュー第三弾は、Psycho le Cémuの過去・現在・未来に迫りつつ、両者の人間味溢れるキャラクターが色濃く映し出されるものとなった。

   ◆   ◆   ◆

■幕が開いた瞬間は“え?え?”みたいな
■笑われたというより、ざわついてた

──耽美なものを追求するバンドが多いヴィジュアル系の中で、Psycho le Cémuは、その真逆ともいえる“笑い”に特化した稀有なバンドです。そのバンドコンセプトを考えたのはヴォーカルのDAISHIさんということですが、LidaさんはDAISHIさんとは古い仲なんですよね。

Lida:Psycho le Cémuの前にMYUってバンドを一緒にやっていましたし、もっと言うと保育園時代から知ってる仲なので、このバンドのコンセプトには全然違和感はなかったですね。
▲2002年<TOUR“スターオーシャンの秘宝”>

──DAISHIさんは、「LidaとやっていたMYUが今一つ売れなくて、次に勝負するために、自分がカッコいいと思うことは全て捨てた!」と言ってましたが、Lidaさん的にはどうだったんですか?

Lida:全然感覚が違って、“売れようとしてたんや!?”っていう感じですね(笑)。僕の場合は、ギタリストだったり、作詞作曲する人という立場なので、バンドをどうしていこうとか、どういう風に見せていこうというよりも、内部的な作業のほうが多かったんです。だからあんまり客観的にバンドを見れていなかったかもしれないですけど。

──DAISHIさんが立てたコンセプトは3つ。“黒い服を着ない” “派手なことをする” “一番目立つ”だったそうですが、それを聞いた時はどうでしたか?

Lida:それまでもそういう話をちょこちょこしていたんで、何も否定することはなかったです。MYU当時から、他のバンドがやってなかったヴィジュアルを打ち出していたし。黒服のバンドが多かった中、白しか着ないとか、女形みたいなのをみんなちょっとやったりしていたんです。ただ、それだけだと限界点が薄ら見えてしまったんだと思います。そこから3つのコンセプトを立てたのは自然な流れやなとは思いましたけど。

──YURAサマはそんなコンセプトのバンドに誘われたということですよね?

YURAサマ:はい、そうです。

──一ヴィジュアル系は、一般的には「キャー」と言われてなんぼだと思うんですが、笑いを取りに行くバンドってどう思いました?

YURAサマ:笑われるっていう感覚はなくて、“こりゃ目立てるな”っていう感じでした。コンセプトはDAISHI君が立てたんですけど、“コスプレ”とか“ゲーム”といった世界観でやろうっていうのはみんなで話して決めたんです。僕もゲーム好きだったんで、僕が言ったんかなぁ……「ロールプレイング (RPG)の世界やな」って。いや、それはAYA君が言ったんやな、たぶん。

Lida:自分の頭の中にあるイメージを言葉で伝える術がDAISHIになかったんですよ。だから、イラストで衣装の絵を描いて見せて、「どう?」っていうところから始まったんです。「RPG」っていう具体的な言葉が出たから、“これはそういうことなんや”って言語化できたし、具体的に表現できるようになっていったという。昔から映画とか漫画とか、いろいろ好きな要素を入れようとはしてきたんですね。ただ、それが何なのかはっきりと見えない状態だったんですよ。だけど、ゲーム好きなAYA君やYURAサマが入って、そのイメージが具現化したんです。とは言え、最初はぐちゃぐちゃでしたけど(笑)。
▲2003年<TOUR“理想郷旅行Z”>

──その世界観を具現化して、ステージに立った瞬間を覚えていますか?

Lida:初めては……大阪・西九条のBRAND NEWのイベントですね。幕が開いて始まる板付きの感じで。

YURAサマ:そうそう。幕が開いたら、ステージの真ん中にメンバー全員がフォーメーションを組んでポーズを決めて立っているという画で始まって、いい感じに笑いが起こっていました。

Lida:幕が開いた瞬間は、“え?え?”みたいなリアクションやったね。

YURAサマ:確かに。笑われたというよりも、ざわついてた。

Lida:ざわついた!! “ザワザワザワザワ……あは……あははははは!”みたいな反応(笑)。笑い声が聞こえた時に、“やったな”と思ったことを覚えています(笑)。

YURAサマ:“いけるな”って思いましたね(笑)。ある程度、思い通りのリアクションだったんで、拒絶されるのではなく受け入れてもらえた感じが強かったですし、“響いたな”って(笑)。

──新しい扉が開いた瞬間ですね。

Lida:ええ。ただ、もともとそういうのが好きだったんで、自然にやっている感じでしたけどね。

──音楽的な部分はどうだったんですか? メンバー全員、音楽的な趣向は同じなんですか?

Lida:音楽的な部分でいえば完全に5人バラバラですね。最初に5人が集まった時も、音楽の話は一切しなかったぐらいです(笑)。
▲2003年 メジャー1stアルバム『FRONTIERS』

──ははは。音楽ではなく、同じカルチャーが好きな5人?

YURAサマ:それもそうでもない(笑)。

Lida:みんな違うんですよ、好きな音楽もカルチャーも。でも、その違いが対立することなく上手く中和できているから、今までやってこれたんだと思います。それと、音楽的には敢えて寄せてない時もあります。例えば、今回の会場限定シングル「FANTASIA」は、同じ曲なのにアレンジが“恋” “怒り” “勇気”という3パターンあるじゃないですか。そのアレンジを考える時に“あいつはああいう音楽性だから、こんな感じにするだろうなぁ。じゃあ、俺はこっちにいこう”みたいにあえて寄せることはせず、だけど外し過ぎることもなく。自分好みのPsycho le Cémuに合うイメージにアレンジしたんです。そういう感じで好きなことを個々にやっていると思います。

──その中でリーダーであるLidaさんの役割は?

Lida:見守る(笑)。リーダーはあだ名なんで、リーダー的なことは特にやったことがないです。

──では、YURAサマのバンドの中の立ち位置は?

YURAサマ:なんでしょうねえ。自分でも分かってないです(笑)。

──YURAサマはエアロビクスのインストラクターなど、音楽以外の活動もしているんですよね。

YURAサマ:そうですね。インストラクターのライセンスを取ったので、不定期ですがエアロビ教室をやっています。それと、多目的スタジオを持っているので、それを一般貸ししています。

──つまり、経営者? 経営はどうですか?

YURAサマ:楽しいですよ、今のところスタジオ経営が順調にいっているからだとは思うんですけど。仲間内で楽しく使える場所ができたらいいなっていう理由で始めたんです。実際、近しい人が使ってくれるんで、ありがたくて。そこでいろんなイベント事とかやってくれたりしてホントに楽しい。

──スタジオ経営を始めたきっかけは?

YURAサマ:真面目な話になっちゃうんですけど、ここ1~2年、このシーン自体に不景気な話が多くて。僕の周りで、ミュージシャンとしてちゃんとしている人、人間としてもちゃんとしている人でも、経済的に生活できていない人は少なくない。そういう人たちがちゃんと仕事できる場所があったらいいなっていうのと、やっぱり仲間内で楽しくできる場所がほしいなって。エアロビクスは自分のやりたいことでもあるし。まあいろんな理由があって作りました。
■ライヴに“人間臭さ”が見えるところが
■当時のファンの方には響いたのかな

──“アーティスト活動”と“経営”って使う脳みそが全然違うと思うんですが。

YURAサマ:でも、バンドマンは経営的な感覚を持っている人が多いんじゃないかな。会社にするとかしないはあると思いますが、インディーズで活動している時はバンドの経費とか運営を考えるわけで。まあそれの延長かなと思いますけどね。

──Psycho le Cémuのメンバーで他に経営をしている人っているんですか?

YURAサマ:seekも自分のバンドで会社を作って運営しています。

──そうなんですね。Lidaさんは?

Lida:興味がないわけじゃないですけど、できるタイプじゃないなと思っています(笑)。
▲2004年 Maxi single「夢風車」

──YURAサマのバンド以外の活動はどんな風に感じていますか?

Lida:YURAサマもいろいろ経験して、こういうことを始めたと思うんです。僕とYURAサマのヴィジュアル系運動系ユニット“Dacco”をやってきたからこそ、スタジオをやるっていう発想も生まれてきたんだと思うし。それ以前にPsycho le Cémuが一回止まったからDaccoが生まれたわけで。全てが繋がっているので、自然な流れなんです。もっともYURAサマには、昔からそういう片鱗はありましたけど(笑)。

YURAサマ:いろいろとやりたがりなんですよね。だから、歌って踊ってドラム叩いてというようなことになっているんだと思います(笑)。

──ドラマーなのに、ライヴで踊り出したきっかけは?

YURAサマ:“ドラムって目立てへんな”と思ったところからです(笑)。

──ドラムが曲の最中にステージの前に出て踊るって、すごい話ですよね。

YURAサマ:ドラムっていうポジションに、もう不満しかなかったんですよ(笑)。でも、他のドラマーに聞いたらやっぱり多いですよね、「目立たへんしなぁ」って言う人。だから、“みんな前に出ていって目立てばいいのに”って思います(笑)。

Lida:そこがYURAサマのおもしろいところで(笑)。普通はドラムプレイとか、バンド全体の土台とか、サウンド面で前に出ていくんですけど、実際にドラマー自身がステージ前に出ていくっていう(笑)。そういうことって、普通のバンドなら“ちょっと待てよ”ってなると思うんですけど、僕ら田舎育ちやからか、“ええんちゃう、別に”みたいな感じで(笑)。

──ははは。でも普通、ドラムは前にはいかないですよね。しかもヴィジュアル系って演奏が上手いバンドが多いし、そもそもバンドは演奏を大事にするもので……。

Lida:まぁ音楽が主軸にあれば、ですね(笑)。もちろん僕らも音楽が主軸なんですけど、それよりも先に“バンドとして目立ちたい”っていう部分があるから、NGはなかったんです。

──確かに、常識にとらわれないというのは表現をしていく上で大切ですよね。

Lida:昔からそうですけど、僕らは衣装やコンセプトが変わる周期が早かったんです。常に新しいものへと更新していきたいっていう感覚が強い。だから、常識にとらわれないというより、執着しない感じ。何かに執着しないのがPsycho le Cémuというバンドじゃないの?って思いますね。特に衣装に関してはそうだと思います。

──YURAサマはどうですか? ドラムがステージ前に出て踊るからには、少なくとも『リズム&ドラム・マガジン』とかドラム誌の表紙には執着してないですよね(笑)。

YURAサマ:表紙どころか『リズム&ドラム・マガジン』さんには一回も載ったことないですし、ドラムメーカーのモニターになったこともない(笑)。でも、ただ単に自分の気持ちに素直にやっているだけなんです。目立ちたいっていうだけでやっている。それを我慢したくないっていうことで。だから、自分の中ではブレてないですよ。

──別に奇を衒っているわけではなく?

YURAサマ:もちろん、“これをやったら、みんなびっくりするだろうな”とかは分かっていますけど、自分の中にあるものからは外れてはないです。だって目立ちたくてバンド始めたんですから。だから、やっていることは筋が通っていると思っているんですよね(笑)。「何でこんなことやっちゃってるの?」って言われても、自分の中にちゃんと理由があるので。
▲2005年 Maxi Single「LOVE IS DEAD」

──そして、それがウケたわけです。インディーズで渋谷公会堂2DAYS、メジャーに行って国際フォーラム ホールAなど、ワンマンライヴでソールドアウトが続きました。そこまで受け入れられた理由は何だと思いますか?

Lida:結成当時はもうちょっとダークな感じで、僕らなりに真面目にやっていたんですよ、笑いもなしで。でも、ステージ上でいろんなことが起きるので、ついつい笑っちゃうわけですよね。それが我慢できなくなって、ある時、コンセプトをガラリと変えてRPGをメインにした衣装や演出に変えたんです。その時に、僕らなりに手応えがあったんですけど、お客さんがどっと減って。“あら?”と思いながらも、ここまで振り切った以上、貫くしかなくて突き進んだ結果、またお客さんが増えてきたという。それは、コンセプト通りに淡々と演出するだけではなく、ライヴの中に“人間臭さ”、言い方換えれば“素人臭い人たちが頑張ってる姿”が見えたりするところが、当時のファンの方には響いたのかなと。最近はそう思えるようになりましたね。

──YURAサマはどう思っていますか?

YURAサマ:本当にそうだと思いますよ。それと、バランスが上手く取れていたんだと思います。ミュージシャンらしさ、人間らしさ、エンターテイメント、コンセプト、そのバランスですよね。

──RPGの世界観がウケた理由は何だと思います?

YURAサマ:分かりやすかったからでしょうね。ゲームやアニメで“なんか見たことあるもの”が、音楽という分かりやすいものと合体したわけなので。

Lida:「いくらマニアックなことをやったとしても、結果、ポップじゃないといけない」ってHIDEさんがおっしゃってた記事を何かの本で読んで、“ああ、そうか”と思ったんです。マニアックな中にもちゃんとキャッチーな部分が必要だし、聴き取れなければマニアックな感じだということも分からないだろうなっていう考え方になったんです。そう思うようになって、音楽性と衣装的な見せ方に、何となくバランスが取れ出した感じがしますね。

──その後、海外でもライヴを行うようになり、2004年10月には米国雑誌『ニューズウィーク』の『世界が尊敬する日本人100』にも選ばれましたね。

YURAサマ:全然尊敬されている感はなかったですけどね(笑)。

Lida:あの時はアメリカでライヴをしていたんですけど、あまりも目まぐるしくいろんなことが起こっていたので、『ニューズウィーク』に載るということの重さをジワジワと感じるようになったのは、後々のことなんです。

──当時はあまり実感がなかったんですか?

YURAサマ:全然なかったです。僕らのとなりにイチローさんが写っていたんですけど、“僕らのやっていることって、ここに並べるほどのことなのかな?”って(笑)。

──でも、海外でウケている実感はあったと?

Lida:そうですね。当時はアメリカのほうが、ライヴのお客さんが多かったんですよ。それに反応が分かりやすいというか、こっちがアピールしたことに対してリアルタイムでリアクションを返してくれましたから。思えば、コスプレっていう文化自体は、当時の日本ではまだあまり言語化されてなかったと思うんですよ。今みたいに『ジャパン・エキスポ』的なアメリカのコンベンションに出ていたわけでもないので、僕ら自身探り探りの中でやっていました。僕個人としてはアメコミが好きなんで、“ああ、そういうところにいけるんだ”って感覚でだったんで(笑)、すごく良い経験でした。

──『ニューズウィーク』に掲載されたことで、ライヴの動員は増えましたか?

Lida:確実に海外のお客さんは増えました。

──2004年だとSNS時代じゃないですもんね。今だったらバズってますよ。

Lida:どうですかね。でも、確かにSNSは全然なかった時代ですね。
■すごく成長したなっていう部分と
■ダメな部分まで成長しちゃった部分も(笑)

──その直後ぐらいですよね、DAISHIさんの事件が起きたのは。事件に関してはどんな想いでしたか?

Lida:当時のことを思い返すと、僕はAYA君とPsycho le Cémuの撮影の仕事をしていて、急に事務所に呼ばれたんです。そこで話を聞かされて、「えっ!」っていう感じでした。気が動転したし、物事を整理して考えることができなくて、“これは大変なことになったな”という感覚しかなかったです。“バンドはどうなるんだろうな”とか“いろんなものをどうしていくだろう”って、そんなことしか考えられませんでした。

──YURAサマは?

YURAサマ:どうだったかなぁ……。“どうやって生活していこうかな”って思いましたね。
▲2015年<TOKYO MYSTERY WORLD 〜名探偵Dと4人の怪盗たち〜>

──ぶっちゃけそこに直結しますよね。それと、LidaさんとDAISHIさんは幼なじみですよね。もちろん事件を起こした本人がいけないんですが、バンドの中の一人がそういう状況になるのって、言葉を選ばず言えば、バンドにも責任があるんだと思うんです。DAISHIさん一人に何かを背負わせていたのかもしれないし、バンドだったらそこは救えたのかもしれないとか。

Lida:話せば長くなっちゃうんですけど……。DAISHIとは高校だけ別で。中学3年生ぐらいになると、ちょっと彼はグレだすわけですよね。そういうのを学生の頃から見てたりしつつ、一緒に遊んでいたんですよ。ただ、僕と接している時だけ変えていたのかもしれないですけど……。僕は彼が他の友達と遊んでいるところを知らないので、僕の中では人間的な印象は、小さい頃から変わらないわけです。

──ええ。

Lida:バンドをやり出して、いろいろ考えなければいけないことも増えたと思うし。二人の中で、考える部分はDAISHIが背負うようになったんで、すごくストレスを感じていたとは思いますね。DAISHIの中では、Psycho le Cémuはもっと売れていたはずが、ある時、気が付いたら“あれ? 思っていたほどは……”みたいなのもあったと思うし。DAISHIは、デビューしてからシングルのチャートだったり、数字をずっと気にしていたから。“あれ? ダメかもしれない”ってすごく悪いほうに入ってしまったんだと思うんですよね。それを当時、僕も気付いてあげられなかったし。

──なるほど。

Lida:ロックを主体としたBAD BOYS BE AMBITIOUS!(2004年始動のPsycho le Cémuメンバーによる変名バンド)でやっていた時もあったんです。それはそれで良かったんですけど、そこから個人の時間が増えていったかもしれない。そうするとプライベートでも距離感が生まれて。もともと密に連絡を取り合う仲ではなかったし、普段何をしているのかを詮索する必要もないとお互いに思っていたので。

──その頃、DAISHIさんに変化も?

Lida:バンドの時間に対してちょっとルーズになってきていたので、個人的にDAISHIに言ったと思うんです、「いろんなところに迷惑がかかるから」って。でも、結局メンバーのソロ活動期間があり、その間に事件が起こってしまった。その時は他のメンバーともそんなに連絡取ってなかったわけで……急激に不安に襲われてしまったのかもしれませんね。でも、それに対してどう声を掛けていいのか当時は全然分からなくて。“何かだいぶ体調悪そうやな”と思っても、小さい頃から知っているんで、まさかそういうことには手を出さないだろうって思っていたところもあったし。でも、結果そうだったんで、“よっぽどだったんだな”って。彼は容疑を認めていたので、僕としては“これからどうするか”っていうことだけでしたね。

──DAISHIさんへの怒り、あるいは、DAISHIさんを孤独にしてしまった自分たちへの怒りはありましたか?

Lida:僕らからは連絡が取れなくて、向こうから連絡が来たんですよ。その時、瞬間的に怒りが込み上げて、電話口で言ったことはありました。そういえば、事件が発覚する直前に一度、DAISHIが僕の家に来たことがあったんです。でも、何を言いたかったか分からなくて、“あれ? あいつ何しに来たんやろ”って。その時に、何か言いたかったのかもしれないですね。

──ですね……。

Lida:バンドの矢面に立っているのは彼だったし、“対大人”に関してはDAISHIが請け負っていたから、負担は大きかったんですよね。その代わりに音楽的なところで自分たちが土台になってあげられたらな、って思っていましたけど。今は、そこを経たので、聞きたいことは聞けるし、直接本人に言えないことはないです。
▲2016年<Legend of sword 2016 -伝説は再び->

──seekさんとAYAさんは今、「もうちょっとDAISHIにスパークしてほしい」みたいなことを言っていました。

Lida:若い当時を知っているからこそ、それが言えるんだと思うんですけど。難しいですよね。二十代の頃って視野も狭いから突き進んで行ける、それが良さになっていたと思うんです。だけど、歳を重ねると石橋を叩いちゃう部分がどうしても出ちゃうんですよね。そこでDAISHIに「もうちょっとぶっとんだアイデアを作ってくれ」って言うより、みんなでアイデアを出したほうが良い方向に進むこともあると思う。DAISHIの言っていることが絶対ではないし、僕が言っていることが絶対でもない。思い付くものはお互いに言ったほうがいいし、今、そうなっていますけどね。

──YURAサマは事件を経てどうですか?

YURAサマ:要は、バンドからみんなが一回解き放たれちゃったわけです。それぞれいろんな成長をして、今、また集まっているんですね。バンド内だけでやっていた時は、押さえつけられていたわけじゃないですけど、自分の中で“これはやっていい” “これは駄目”っていう“バンドルール”があったんです。バンドをやっている以上、“自分ルール”より “バンドルール”のほうが絶対で。でも、一回それが解き放たれて、みんな“自分ルール”で動き出したことで、自分の良い所と悪い所ををガツンと伸ばして帰って来た。すごく成長したなっていう部分と、ダメな部分までこんなに成長しちゃったか、みたいな感じがあって(笑)、すごく面白いですよ。

──そういう面では事件前と同じバンドであるけど、同じバンドではないというか?

YURAサマ:大きな事件をそれぞれが経験したわけだから、やはり人として成長していますよね。何事もなく続けていたのとは違った形で、やれているというか。事件があったからかもしれませんが、あのままやっていたら出来なかった形で、今やれているなぁと思っています。

──事件がなかったらPsycho le Cémuはどうなっていたと思いますか?

Lida:メンバーの中でギスギスが生まれていたと思います。

YURAサマ:伸び悩んでいたでしょうね。

──seekさんとAYAさんの二人は「事件がなかったらバンドは解散していたかも」と。

Lida:どうだろうなぁ……。解散というより、個人的には自分が辞めていたかもしれないし、誰かが辞めていたかもしれない。そのぐらいの空気感になっちゃっていたのかなって。

──タイミング的に2004年頃って、CDが売れなくなり音楽産業がどんどん落ちていく時代です。何か不思議な運命を背負ったバンドですよね。コスプレが流行る前からコスプレをしていたけど、日本では少し早すぎて爆発的には売れず。SNSが盛んになり、コスプレが一般的になるころには、バンドが休止状態だったっていう。

Lida:会場限定シングル「FANTASIA」の歌詞は今回DAISHIが書いていますけど、事件も含めて、いろんなことがなければ、この曲はできてないと思います。
■「今回のお芝居は、Psycho le Cému史上
■一番感動するし、泣くで」って自信満々でした

──「FANTASIA」の歌詞の中に、事件のことだと分かる一文があります。“破滅へと向かうあの世界 僕が終わらせた”という部分です。この歌詞をどう受け取りましたか? 本人から歌詞の説明はありましたか?

Lida:説明はなかったですけど。とにかく、同じ歌詞がものすごく送られてくるんで、どれが正解か分からないっていう(笑)。仮歌って僕が毎回入れているんですけど、歌ってみて“なるほど……”っていう感じでした。

──YURAサマはどうですか?

YURAサマ:僕はもう“消化した”って言ったらおかしいですけど。そんな感じなんですけど、本人的には“まだ言いたいことあるんだな”って(笑)。でもまぁ、本人だから言えること、本人だから説得力がある、そういうものってあると思います。
▲2017年<Doppelganger ~Next Generations~>

──DAISHIさん本人は、「「FANTASIA」はファンに向けての歌」だと言っていました。

YURAサマ:でも、“このネタはもうそろそろこれでよくね?”って僕は思ってますけどね(笑)。言っても結構前の話なんで。

Lida :来年がバンド結成20周年というひとつの節目なので、この楽曲を出して、また新しくっていう意味もあるんじゃないかなぁ。「FANTASIA」の“FAN”はやっぱ“ファン”ことなんですかね?

──そうかもしれないですね。

YURAサマ:それより、「FANTASIA」って幻想曲という意味なのに、歌詞はリアルっていう。

Lida:たぶんそういうことは全然考えてないと思う(笑)。

──ははははは。歌詞もすごいですが、 “愛=バラード”、“怒り=ロック”、“勇気=ポップ”という3パターンのアレンジがあるのもすごいです。このアイデアはDAISHIさん発信だったとか。

Lida:いろんな話をしている中で出てきてるんで、どっから始まったのかわからないんですけど、でもDAISHIですね。「たとえば、こんなんできひんの?」みたいな軽い感じで始まった気がします。

──アレンジはどういう風に決めていったんですか?

Lida:原曲を作ったのはAYA君なんですけど、それをポップなやつ、バラード、激しいやつみたいなイメージでDAISHIが振り分けたような。「seek、激しいやつやったら、ええんちゃうん?」みたいな。そういうノリでしたね。DAISHIからするとseekはずっと怒ってる人、そういうイメージなんじゃないですか(笑)。

──ははは。では、バラードのアレンジ担当は?

Lida:AYA君ですね。

──ポップのアレンジ担当は?

Lida:僕ですね。僕がアレンジしたポップなバージョンはAYA君の作った原曲に近い感じです。でも、他の二人が作ってくるものを聴いて、コードの当たり方をちょっと変えたり、違いを作っています。

──同じ曲を異なる3パターンで演奏するのはどうですか?

Lida:サオ (ギター/ベース)チームはキーが一緒なのに、コード進行が違ったりして、でもメロディーは全部一緒なんで大変です。

──ドラマー的には?

YURAサマ:ただテンポが違う、っていうところだけが救いです(笑)。あとは、違う曲って感覚で叩いているんで(笑)。実際、僕がレコーディングした時は歌もない状態だったから、違う曲のようでした。でも、ライヴでやる時はごちゃごちゃになるのはもう見えてますね。

Lida:確かに、そこだけは見えてるなぁ(笑)。
▲2018年<TOUR 2018 Doppelgänger ~ゲルニカ団 漆黒の48時間~>

──その「FANTASIA」がコンセプトとなる東名阪ツアーが12月8日から始まりますが、今回はどんな衣装ですか?

Lida:YURAサマはイメージ的に、今までとそんなに変わらないよね? RPGにいる感じだよね?

YURAサマ:まあ、いそうですよね。リーダーは忍者的な感じでしょ?

Lida:暗殺者的な感じだね、ボヤっとした立ち位置ですけど(笑)。忍者っていうと、国が違うので(笑)。でも、ヨーロッパな感じではないですよ。なので、他のメンバーとどういう絡み方をするのか、僕もちょっと楽しみなんです。

──ネタバレしない程度にどんなストーリーなのか教えていただけますか?

Lida:今まで通り、笑える部分もあるんですけど、DAISHI曰く「今回のお芝居は、Psycho le Cému史上一番感動するし、泣くで」って自信満々でしたから、相当なものでしょうね(笑)。

YURAサマ:「今までで一番泣く」って、これまで泣くようなやつあったっけ(笑)?

Lida:あったって! あったけど、今回はファンの人に一番響く内容になっているみたいです。「お芝居を考えている時に泣きそうになった」って言っていましたから。

──DAISHIさん本人が一番泣きたいのかもしれないですね。

Lida:そうですね。それで「FANTASIA」のコンセプトが5年ぐらい続いたらどうしよう(笑)。

YURAサマ:コンセプト自体は別にええけど、題材にしている内容は、もういいでしょって(笑)。

──ははは。来年で20周年ですから、再びフルスロットルで行ってほしいです。今後の展開はどんな風に考えていますか?

Lida:20年前と比べたら、インフラを含めて世界は大きく変化しましたけど、ブレずに、その時々のやり方を上手く取り入れられたら、バンドも曲も残っていくんだろうなと思ってるんで。僕らは僕らなりの見せ方で、やりたいものは崩さず、アンテナを張っていろいろなアイデアを見つけていきたいですね。

──YURAサマは?

YURAサマ:楽しくやっていきたいなと(笑)。自分たちで20年やって分かったこともあるんですけど、予想できないこと、分からないことがやっぱり大きい。新しい可能性を楽しみたいです。もちろん、もっと人気が出たらなっていうのはありますけど、何より楽しくやりたいです。

──とはいえ、売れることも大事ですよね?

YURAサマ:集客が増えたりCDがもっと売れると、単純にやれることが広がるんですよね。僕ら、ファンタジーの世界をやっているので、ある程度のお金がないとできないことが結構多いんですよ。そういう意味で売れたいんですよね。“もっとこういうことやれたらおもしろいんだよ”ってことがいっぱいあるし、僕らじゃないとできないこともあると思うので。

──常識破りの発想をしてきたPsycho le Cémuだけに、“僕らじゃないとできないこと”が気になりますが、どんなイメージなんでしょうか?

Lida:何かのテレビで観たんですが、スポーツ観戦って、今は会場に行かなくても自宅で味わえるらしいんですね。VRでもなければ3Dでもない。4Dのもう一個上みたいな感じで、観戦場所が自宅にバーチャルで作れるんです。これって最終的には音楽ライヴにも当てはまるんじゃないかなと思っていて。お客さんが会場に行かずして自宅でライヴをリアルに楽しめる。要は、お客さんを集めるという発想ではなく、僕らが拡散していろんなところに同時にいるっていう状態になるわけです。そういうことがゆくゆく実現されるであろうところに、先に目を付けておきたいですよね。

──なるほど。

Lida:それが夢物語であっても。そうしたほうがバンドにとっていいと思うし、おもしろいなって思えることはやりたいです。東京オリンピックの頃には世の中がもっと変わっているだろうし。でも、そこで爆発するためにも、今回の東名阪ツアー<FANTASIA>はしっかりと成功させたいと思っています。

YURAサマ:うまいシメだなぁ(笑)。

取材・文◎ジョー横溝

■東名阪ツアー<FANTASIA>
▼<FANTASIA~恋の幻想曲を探す物語~>
2018年12月8日(土) 名古屋ボトムライン
Open 17:30 / Start 18:00
▼<FANTASIA~怒りの幻想曲を探す物語~>
2018年12月9日(日) 大阪パルティッタ
Open 17:30 / Start 18:00
▼<FANTASIA~勇気の幻想曲を探す物語~>
2018年12月14日(金) Zepp DiverCity Tokyo
Open 17:00 / Start 18:00
▼チケット
楽天チケット https://ticket.rakuten.co.jp/music/jpop/visual/RTCYPLH
ローソンチケット http://ur0.work/Nbbp

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