前進座が日本の画家、絵本作家いわさ
きちひろの若き日を描いた『ちひろ-
私、絵と結婚するの-』上演~長男・
松本猛氏と劇作担当の朱海青が対談で
「面白くなければ意味がない」

いわさきひちろ——その名前は知らなくても、淡い色とくっきりとした輪郭線を持たない、儚くも、温かくも感じられる少女たちの絵を見れば、誰もが一度は通りすぎてきたことを思い出すだろう。いやいや、ちひろの名前だって、知らない人なんかいないはずだ。本当、そう思う。そんな、いわさきちひろの生誕100年を記念し、さまざまな企画が行われているなかで、劇団前進座が舞台をつくった。『ちひろ—私、絵と結婚するの—』だ。美術・絵本評論家、作家、ちひろ美術館常任顧問でいわさきちひろの長男・松本猛と、これがデビュー作になる前進座の座付き作家・朱海青に聞いた。
前進座公演『ちひろ-私、絵と結婚するの-』
前進座公演『ちひろ-私、絵と結婚するの-』
——ちひろさんが舞台になる、映像になるということはこれまでもあったのですか。
松本 ドキュメンタリーとかクイズ番組とか、そのくらいですね。
朱 あとは日曜美術館のような美術関係の番組じゃないでしょうか?
——そういう意味では、前進座さんから話があったときに気を使う部分もおありになったのでは?
松本 僕が去年書いた評伝(講談社「いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて」)もそうですが、生誕100年を迎えて関係者がほとんど鬼籍に入ってしまったので、ある意味とても書きやすかった(笑)。朱さんもそうじゃないですか? つまりそれは一人の人間が歴史になったと言い換えることができる。過去の人間をドラマの中に生き返らせる、そういう作業をするにはそれなりの時間が必要なんでしょうね。
——僕は、いわさきちひろを前進座が舞台で描くということが、まず意外だったんですよね。
朱 時代もの、歌舞伎の印象が強いですもんね。実はこの企画は、前進座の先輩でもある女性制作者がずっと温めていた企画でした。彼女は大変なちひろファンで、「ちひろさんの絵を心底理解しているのは私しかいない」と言うくらい思い入れがあって。制作者になったのも「いつかちひろさんの生涯を舞台にしたい」と強い思いを持っていたからなんだそうです。20年前に猛さんのお父様である松本善明さんにお願いに上がったところ、「まだ記憶が鮮明に残っているから」と丁重にお断りされたそうですが、その後も何度もお願いして、ようやく今年に実現することになりました。なによりありがたかったのは、猛さんから一緒につくりましょうと言っていただけたことです。
松本 前進座さんからものすごく熱心にお話をいただいたものですから、いろいろ話し合いをしながら「やりましょう」と決めました。まず舞台として面白いものをつくってほしかったんです、そうでなければ意味がないと伝えました。一番大変だったのはおやじの説得です。「これはフィクションだから事実と違うだなんていわないでくれ」と(笑)。ちひろと一緒に絵本をつくっていた武市八十雄という名編集者がいるんですけど、この人が「うそでもいい真実ならば」と言っているんです。僕は今回の芝居の中で語られる中身が真実ならば、事実関係のうそが入っていたっていいじゃないかとは思っています。
朱 猛さんはもともと演劇部にいらしたということで、舞台に対して一家言おありになる。その言葉をひっくり返して、私も「面白くなるのであれば、多少の事実とは違ったり、年代を入れ替えたりしても構いませんよ」とおっしゃってくださったと解釈したんです。
——松本さんはいつ演劇をやられていたんですか?
松本 高校のときです。脚本を書いたり演出をしていました。
朱 それを聞いて、少し焦りました!(笑)
——けっこうハードルの高い出会いになってしまいましたね(笑)。
松本 高校なんて遊びですから。僕はその後も映画のシナリオを書くのに夢中で2浪してしまいましたけど、もし早稲田大学に進んでいたら演劇をやろうと思っていたんです。ただ東京芸大のほうが学費が圧倒的に安いでしょ。それで芸大に行くことにしたので美術をやることになっちゃったんです。
朱 実はなかなかこの人でという脚本家の方とは出会えなくて、私もちひろさんファン、絵本おたくということで最初から構成会議に参加させていただいたものですから、私だったらこうしたいと10ページほど書きまして、くだんの女性制作者に見せたところ「面白いからこのまま書きなさい」と言っていただいて、そこからあれよあれよと脚本を担当することになりました。
松本 紆余曲折あって僕も降りようと伝えたこともありましたし、一度は僕が書こうという思いもちらっとはあったんです(笑)。でも僕と朱さんは趣味やイメージも似ていて、これだけ書けるのなら僕が出る幕ではないと思いましたね。映画監督の山田洋次さんがいわさきちひろ記念事業団理事長でもいらっしゃるのですが、「よく書けている」と太鼓判を押してくれたくらいです。
朱 もう一つ、猛さんからまず「この時代が面白い、この時代で行きましょうよ」とご提案いただいたのも大きかったです。
松本 1946年から4年間くらいの若かりしころを描くのが一番いいんじゃないかと提案したんです。それはちひろの人生でもっとも面白い時期だから。彼女が26歳のときに第二次世界大戦が終わり、日本が新しい憲法をつくり民主化を進めて新しい国をどうやってつくるかという激動の時代に、葛藤しながらも絵描きとして生きていくことを決めたんです。ちひろは東京の中野に住んでいたんですけど、空襲で焼け出され、そのあと実家のあった松本(長野県)に疎開します。そこでいろんなことを考え始める。彼女は女学校時代は本当に自由な教育を受けていて、英語も少しはできました。ですからマッカーサー直属の音楽隊の演奏を聞きにいって楽団の人たちとコミュニケーションをとるなかで、「この素晴らしい音楽を奏でたアメリカ人をわれわれは鬼畜米英と呼んで戦っていたのか」と、共産党の催しなどに出かけるようになって、自立しなければならないと思った。それが1946年から47年にかけてなんですね。そして上京をするんですけど、上京したその日からを描いたのが今回の芝居です。
朱 日本人の多くが戦争に参加もしくは加担していた。しかしその戦争は間違っていたと聞かされたとき、誰もが心の中では動揺であったり、革命が起きたりしたと思うんです。戦争が終わったあとの人生がそれまでとまるで変わってしまった人も多かったでしょう。この舞台にはちひろさんと同時代を生きた画家たちが大勢出てくるんですけど、ちひろさんや「原爆の図」を手がけた丸木俊さんは平和を希求する思いが生涯ぶれることがなかった。魂の一部はつねに戦争が終わったときの廃虚の中に立っていたのではないかと思いますね。戦争を知らない人が語る戦争ではなくて、戦争を知っている世代が語る平和の重さ、みたいなことを強く感じています。もちろんこのお芝居は、笑って泣いて楽しんでいただけるエンターテインメントを目指してはいますが、その中に当時を生きた若者たちの平和への焦がれるような熱い思いを込められばいいんなあと思って書かせていただきました。
松本 これで前進座に変化が出るといいですよね。平和のことを伝えてくれるのは重要なんだけど、もっと人間が面白いんだよっていうことを言ってほしいんですよね。人間って面白いじゃんというのがポイントで、「そういえばあの時代は」と観た方が後で振り返ってくれればいいわけです。
朱 今まではへんな話、そういう意義を打ち出そうという部分はたしかにありました。
松本 そうじゃないものをつくりたいというところで、僕らは一致したんだよね。
前進座公演『ちひろ-私、絵と結婚するの-』
前進座公演『ちひろ-私、絵と結婚するの-』
——この台本を読んで、こんなことを言っていいのかわかりませんが、前進座っぽくないなあとは思いました。
朱 そうですね。こういう現代劇で全員が主役みたいなもの、会話劇を書く作家は劇団にはいなかったんですよ。一人のヒーローを芯にして描くことが多いですから。でも私自身が女優として脇役一筋●十年ですから、脇役も書き込まなければ気が済まなかったんです。全員を輝かせたい。あわよくば私が女優として舞い戻ったときに美味しい役がたくさんあるようにしておこうと思ったんです(笑)。
松本 あはははは!
朱 劇団でも一定以上の年齢の女性の役がよく描かれているねっていわれました。誰かが倒れたときは、一番早く代役ができるのは私かも……です(笑)。
取材・文:いまいこういち
《松本猛》1951年生まれ。美術・絵本評論家、作家、横浜美術大学客員教授、ちひろ美術館常任顧問、美術評論家連盟会員、日本ペンクラブ会員。1977年にちひろ美術館・東京、97年に安曇野ちひろ美術館を設立。同館館長、長野県信濃美術館・東山魁夷館館長、絵本学会会長を歴任。著書に「いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて」「母ちひろのぬくもり」(講談社)、「『戦火のなかの子どもたち』物語」(岩崎書店)、「安曇野ちひろ美術館をつくったわけ」(新日本出版社)、「東山魁夷と旅するドイツ・オーストリア」(日経新聞出版社)、絵本に「ふくしまからきた子」「ふくしまからきた子 そつぎょう」(絵・松本春野/岩崎書店)、「白い馬」(絵・東山魁夷/講談社)、「りんご畑の12ヶ月」(絵・中武秀光/講談社)、「海底電車」(絵・松森清昭/童心社)など。
《朱海青》高柳育子の名で活躍する前進座の女優でもある。前進座附属俳優養成所(15期)を経て、1992年7月に『五重塔』の蓬莱屋女中役で初舞台を踏む。主な劇団公演に『赤ひげ』『銃口』『唐茄子屋』『法然と親鸞』などがある。出産を機に女優としては休業中。本作が朱海青名義で手がける初の戯曲になる。

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