【インタビュー】乃木坂46「一期生は
多かれ少なかれみんな先のことを考え
はじめてはいる」一歩目を踏み出した
人生の“分岐点”に迫る!
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秋元 歌詞は切ないけど曲調が明るいのでポップに聴ける曲だなと思いました。
井上 <過去がどんな眩しくても 未来はもっと眩しいかもしれない>って、希望が溢れる歌詞なんですよね。
秋元 でも、逆にその明るさが涙を誘うって感じもあって…。
松村 わかる!私は自分に念をかけるタイプっていうか。本来、引っ込み思案なので人前に出る時は“できるできる”って言い聞かせているのですが、この曲も<行くんだ 行くんだ 行くんだ>って何度も歌っているじゃないですか。そうやって弱い気持ちを振り払おうとしているところに共感しました。
井上 私はなーちゃん(西野)とは同期で学校も同じだったから、修学旅行も卒業式も成人式も全部一緒で。プライベートでも大事な時間を一緒に過ごしてきたから、言葉では言い表せない想いがあります。
秋元 乃木坂46の活動も8年目になり、私たち一期生は多かれ少なかれみんな先のことを考えはじめてはいるんですね。でも、いざ卒業ってなるとやっぱり寂しい。いろいろなメンバーを見送ってきたけれど慣れることはないです。
松村 私も慣れない。やっぱり毎回、ショックです。
松村 大学受験で第一志望に落ちて浪人を選んだときです。それが乃木坂46のオーディションを受けるきっかけになったので本当に分岐点でした。別の大学に行っていたら普通にキャンパスライフを謳歌して、全然別の人生だったと思います。
井上 私は小さい頃、すっごいやんちゃだったんですね。でも、小学校3年生のときに一回、体調を崩して、今まで当たり前にできていたことも当たり前ではないんだと感じたときに、そこから性格がガラッと変わって、ボランティアとかにも参加するようになったんですよ。
秋元 私は高校生の時にやった生徒会長です。ほかに立候補する人がいなかったので自動的に私が会長になったんですけど、それが人前に立つ最初の機会というか。朝礼とかで挨拶するのがすっごく快感で、目立ちたがり屋の性格が開花したんです。だから今でも多勢の前に立っても緊張しない。胸のあたりがギューっとなるけど、私にとってその感覚は“ワクワクする時のギュー”で、この仕事をしているとしょっちゅうそれを味わえるから、毎日楽しくてしょうがないんですよね(笑)。
秋元 でも、乃木坂46に入るって父に言うときはすごく緊張しました。うちの父は芸能界には大反対だったから“どうせ落ちるだろう”と思って内緒でオーディションを受けたら合格してしまって。結局、乃木坂46結成の記者会見のニュースで父にバレてしまったんです。そのあと、改めて打ち明けるのはめちゃめちゃ勇気が必要だったし、認めてもらうまで2年くらいかかってしまって…。今ではライヴを観に来るくらい応援してくれていますけどね。
松村 私、乃木坂46の初期の頃、土日のレッスンのときは金曜日の夜に地元の大坂から深夜バスで東京に通っていたんですけど、それがツラくて。でも、毎回、母が「行って来なさい!」って泣いている私の背中を押してくれたんです。そのおかげで勇気を振り絞ってバスに乗ることができたんですよね。
井上 私は乃木坂46のお仕事以外で初めて外の舞台に出たとき。それまではファンの人の前でしかライヴやイベントをやっていなかったし、まだ乃木坂46の知名度もなかったので、舞台に出た瞬間、お客さんも「誰?」って感じで完全にアウェイ感を味わったんです。でも、その経験がむしろモチベーションになって、この人たちを全員、味方にしよう!って思えた。そしたらお客さんの目も変わっていって、その時から一歩、踏み込む勇気が“楽しい”って気持ちに変わっていったんですよ。
松村 それは感じます。何気なく選んだことも頑張ったことも、振り返ると全部、運命だったんだなって思いますね。
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