写真左より、山森“JEFF”正之(Ba)、加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(Gu)、古沢'cozi'岳之(Dr)

写真左より、山森“JEFF”正之(Ba)、加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(Gu)、古沢'cozi'岳之(Dr)
ライヴ活動を行なうアーティストの拠点となるライヴハウス。思い入れ深く、メンタル的にもつながるライヴハウスについて、活動を始めた当時を振り返りながら語ってもらった。
もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?
L→R 山森“JEFF”正之(Ba)、加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(Gu)、古沢'cozi'岳之(Dr)

L→R 山森“JEFF”正之(Ba)、加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(Gu)、古沢'cozi'岳之(Dr)

THE COLLECTORS プロフィール

ザ・コレクターズ:1986年初頭、ブリティッシュビートやブリティッシュサイケに影響を受けた加藤ひさしと古市コータローを中心に結成。2014年に山森“JEFF”正之、17年に古沢“cozi”岳之が加入し、現在のメンバーに。メジャーデビュー30周年を迎え、17年3月1日には初の日本武道館を開催し、18年11月には初のドキュメンタリー映画『THE COLLECTORS 〜さらば青春の新宿JAM〜』が公開される。THE COLLECTORS オフィシャルHP

Guest:古市コータロー(Gu)

新宿JAMは当時の初期衝動みたいな、
デビュー前の気持ちが蘇る場所

ドキュメンタリー映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』をひと足お先に観させていただきました。30年ほど前のTHE COLLECTORSや新宿JAMを振り返っている作品ですが、当時のシーンや空気感が分かりやすかったです。

本当? それは良かったです。

今回の映画についてのお話はいつ頃出てきたのですか?

日本武道館でのライヴが2017年の3月にありまして。その後の8月でした。

話の舞台になっている新宿JAMは2017年末をもって閉店したわけですが、映画の話が出てきた時はまだJAMの閉店については知らなかった?

単純にTHE COLLECTORSのドキュメンタリー映画を撮りたいって話だったんですよ。でも、武道館が終わったばっかりだからね。武道館までを追うとかなら分かるけど、武道館が終わって抜け殻になってる時に何言ってるんだって(笑)。そうしたら、新宿JAMがビルの老朽化のためになくなるっていう話になったんですよ。“じゃあ、最後にそこでライヴをやって、そこを中心に追っていけば面白いかもね”みたいな話になったんですよね。新宿JAMっていわゆる東京のモッズシーンだったので、東京の当時のシーンもみんなに分かってもらえたらよりいいんじゃないかっていうところから制作が始まったわけです。

新宿JAMはTHE COLLECTORSが初めてワンマンライヴをした、バンドにとっても思い入れの深いライヴハウスですよね。出演し始めた当時の新宿JAMはまだオープンして数年だったと思うのですが、どういう場所でした?

できて数年だったけど、もう100年くらい経ってるような汚さだったよね(笑)。僕らがデビュー前に出ていた頃と、去年の暮れの閉店前最後に出た時と、汚さとかが一緒だったね。まったく。あれよりも汚くもなってないし、不思議だなと思った。

その時のまま?

でしたね。楽屋が広くなったように感じるんですけど、前は単純に真ん中にロッカーがあって無理やり2部屋にしていたから、そのロッカーがなくなっただけっていう。あとは、ステージが何センチか高くなった気もしたけど、どっちにしたって低いわけですから。真ん中より後ろの人は何も観えないんじゃないかな。でもまぁ、ライヴハウスってそんなもんだったからね。

当時、同じようにバンドをやっている仲間は多かったですか?

もちろんたくさんいて。青春でしたね。さっきおっしゃったように新宿JAMは僕らが初めてワンマンをやらせてもらったハコで、自分たちの企画もやってたんですね。それでゲストを呼んだりもしてて、その中で今もやってる人と言えば、ORIGINAL LOVEの田島貴男くんとかも出てくれたかな。

どのようなライヴをしていたのですか?

ゲストを呼んだ時もあるんですけど、自分たちの企画は本当に馬鹿なことばっかやってましたね。前座としてThe WhooとかBay City RollersとかSex Pistolsを呼ぶっていうのがあって。もちろん呼べるわけないじゃん。だから、前座では髪立てたり変装してSex Pistolsをやって、楽屋に帰ってTHE COLLECTORSの衣装に着替えて…っていう。

出てるのは全部THE COLLECTORSという(笑)。

あの時は面白かったね(笑)。

当時はメジャーデビューが目標だったとのことですが。

10~20年くらい前からインディーズでもCDデビューってできるじゃない。僕らの頃は大手レコード会社からレコードを出さない限りはデビューって言えなかったんですよ。だから、どんなに上手いバンドでも、どんなに人気があっても、レコードが出てなければアマチュア。プロかアマかのふたつしかなかった。僕らはそのどっちかって言ったらプロになりたかったので、とにかくメジャーデビューが目標でしたね。

1986年に結成してメジャーデビューを目標にしていたバンドが翌年の1987年にはメジャーデビューを果たすわけですけど、そのあとのバンドとしてのモチベーションはどこに向かっていたのですか?

そこが難しい問題でね。デビューすることに夢中で、そこから先のプランがなかったんだよね。だって、ごまんというバンドがデビューしたくても、そのほとんどができないんですよ。だから、無事にデビューできたってことでもう満足しちゃって(笑)。それが本当に優雅なもので、プロっていうのは何か、バンドで飯を食うっていうことは何かを学びながら贅沢に過ごさせてもらいましたね。

プロに抱いていたイメージはありましたか?

単純にギターを弾いて生活ができるっていうふうに考えてたんだけどね。周りの奴らの中には、デビューした瞬間にジャズ理論とかを学ぶ奴もよくいて(笑)。僕はずっとそれは違うんじゃないかって思ってたんですけど、当時はそのくらい大変なことだったんですよ、デビューっていうのは。

当時のシーンを体験していない世代として映画を観て意外だったのが、モッズというシーンが当たり前にあったのかと思っていたら、当時の人たちは本物のモッズに憧れて、モッズを吸収するために自分たちも模索していたというところでした。

そうなんですよね。当たり前だけどインターネットもないので、自分の足とアンテナが命で。どんな小っちゃい情報でもお互いに話すわけですよ。珍しい服を着てると“それ、どこで買ったの?”とか、逆に僕が着てると“どうしたの!?”って訊かれたりとか。とにかく、『さらば青春の光』っていう映画が公開されて、初めて動くモッズを観れたんですよね。あれが結構謎解きになったっていう。みんなそうだったんじゃないかな。

当時学んだのはどのようなことでしたか?

まぁ、お金のことだね。僕らは新宿JAMとは仲が良かったからノルマがなかったの。向こうが心配してなかったんでしょ、ノルマ以上は入るだろうって。だけど、ライヴが終わったら精算しなきゃいけないじゃないですか。それを僕が当時からやってたので、10数年後に事務所が潰れた時に大いに役に立ったね、あの経験が。ライヴで飯を食うってことはライヴハウスで学んだんだね。

ただバンドをやりたいというだけではなくて、バンドの運営も考えていたと。

純粋にバンドをやりたいっていう青年じゃなかったね。ノウハウを覚えてどうやってデビューするかっていうことばかり考えてた。たまたまあの頃はネオGSシーンっていうのが盛り上がりを見せつつあったんだけど、そこに参加しないかって言われた時も、参加しておいたほうが道としてはいいんじゃないかっていうことも考えて参加したね。結果的に良かったんだけどさ。

映画の中では当時についても語ってるわけですけど、他のライヴハウスに出られないから新宿JAMに出てたという話も…

まぁ、ぶっちゃけて言うとね(笑)。新宿LOFTとかはなかなか出られないんですよ。例えば知り合いのバンドが企画してて、そこに“出ない?”って言われて出ることは簡単なんですけど。自分たちで新宿LOFTに“出たいです”って言うと、まず無理だね。何回も言ったけど無理だったね。特に新宿LOFTと渋谷のeggmanっていうのは2大巨塔だったし。新宿LOFTは本当に厳しかった。昼の部と夜の部があったんだけど、“夜は10年早いよ”って感じだもん。でも、昼の部から始める時間もなかった。“じゃあ新宿JAMだな”ってなって“新宿LOFTで断られたんだけど”って言ったら、“うちでやんなよ!”って(笑)。新宿JAMは新宿JAMでモッズバンドとしての聖地だったんで良かったけどね。新宿LOFTはロックの聖地で、eggmanはわりとニューミュージックっていうか、そっち寄りの人が多かったのかな。新宿LOFTはあの時点でもすでに歴史もあって。東京ロッカーズとか出したところだし、日本で言う最初のシーンじゃないかな。そういうのが始まったところでもあるし、憧れはありましたね。あと、僕はTHE COLLECTORSを始める前によくeggmanでやってたんですよ。デモテープを持って行って出してもらった気がします。

当時はそんな感じだったんですね。

最近は自分でブッキングをしないから分からないけど、あの頃は明らかにライヴハウス主導というか。“出させてもらってる”っていう世界だよね。それがここ10~20年で変わってきたんじゃないかな。例えば今若いバンドに“ノルマが~”って言っても分かんないと思うよ。そのくらいいろいろ変わってきたんじゃない? 恐らくね。

最近は当時と比べると、ライヴハウスへの敷居が低くなった?

“ここに出たい”みたいなところも今はあんまりないですよね。人によっては“THE BLUE HEARTSがよく出てたから出たい”とかはあるかもしれないけど。ライヴハウスの看板がどんどんなくなってきてるのかもしれないね。そもそもライヴハウスが禁煙なんだからさ、困っちゃうよ(笑)。

ははは。当時は新宿と渋谷と下北沢では全然シーンが違ったのですか?

僕らの頃は下北沢なんてライヴハウスはほとんどなかったんじゃないかな。下北沢が盛り上がってきたのは1990年代以降だと思う。渋谷も屋根裏とかはあったけど、“ライヴハウス”って言ったら新宿。やっぱ新宿LOFTの威力だよね。

では、新宿JAMが閉店すると知った時はどういう想いがありましたか?

僕らがデビュー前から壊すって言われてたんですよ、古くて。だから、“やっとなんだ”っていうのが第一印象でした。

閉店に伴って2017年12月24日に新宿JAMで最後のライヴをしたわけですけど。

店長の石塚くんから“最後なんでやってくれませんか?”って電話が掛かってきたんですよ。最後だし、映画もあるからここで撮ったらいいんじゃない?ってなって。久々に行ったらやっぱり懐かしかったですね。

新宿JAMでのライヴはどれくらい振りだったのですか?

いつだっけな…。やってないかも、ライヴ(笑)。プロモーションビデオみたいなのは撮った気がするけど、ライヴはデビュー前以来じゃないかな。

では、30年振りとか?

だと思いますよ。

それだけ時が経ってても新宿JAMがホームだと思えた理由は何だと思いますか?

事実そうだったからね。事実そうだし、まだ新宿JAMが続いてたっていうことも嬉しかったしね。さっきも言ったけど、結果的にモッズバンドの聖地になったわけだし、そのシーンも含めてやっぱり新宿JAMが懐かしい。

実際に最後にライヴをしてみてどうでしたか?

ステージに立ったら懐かしい気持ちで感極まったりするのかなって思ったんですけど、全然なくて。これは不思議だったんですけど、当時の初期衝動みたいな、デビュー前の気持ちが蘇ったね。それは新宿JAMだからだよね。地方のライヴハウスでやったってそんなふうにならないもん。新宿JAMに出てた頃から30年くらいの時があって、そこに戻ったからだと思う。自分の中にそういう炎みたいなものがあるんだなって嬉しかったね。やっぱあの日のステージが全てだったと思うよ。あの日に弾いたギターに全てが宿ってる。

デビュー後は同じ新宿にあった日清パワーステーションに出ていたそうですが。

そこも1998年で閉店したんだけどね。日清パワーステーションも新宿JAMの向かいにあったので、縁を感じます。毎月出させてもらったり、ものすごいお世話になりました。

普通のライヴハウスとはちょっと違うライヴハウスですよね。

“Rockin' Restaurant”って言いましたね。1階は普通のライヴハウス、2階にレストランがあるんですよ。そこで開場時間中に食べてライヴを観るみたいなところでした。当時は画期的だったんでしょうね。ウエイトレスの人がいっぱいいるんだけど、最初はみんな外国人だったし。ライヴハウスのキャパは800人くらいで恵比寿LIQUIDROOMよりちょっと小さかったかな。

そこでも閉店する1998年6月30日にライヴをしていますね。パワーステーションでよく覚えてるライヴはありますか?

ここでもよく企画をやらせてもらったんですよ。3カ月連続でやったりとか。あとは、楽屋のご飯って大体お弁当なんですけど、パワーステーションには“パワステ定食”っていって、言うと作ってくれるんですよね。僕は弁当のほうが好きだったけどね。好きな時に好きな場所で食えるから(笑)。あとね、ライヴが終わって帰る時に“ラーメン切れちゃったんだよなぁ”とかボソッと言うとひと箱持たせてくれた。日清のチキンラーメンが大好きだったんで(笑)。あそこもなくなってから20年ってことか。

今、一番よく出てるライヴハウスとしては渋谷CLUB QUATTROですよね。

そうですね。本当によく出してもらってます。

2003年からは定期的にやっている公演もありますが、出演している期間的には今話しに出てきたライヴハウスの中で一番長いのではないですか?

1988年オープンですから、もう30年か。未だに出まくってますね。今はあそこの楽屋に行くとホッとするね。2003年に事務所を独立して自分たちで全部やらなきゃなんないってなった時に、渋谷CLUB QUATTROの店長と仲が良かったから“こういう事情なんだけどさ、毎月出させてくれない?”って言ったら、“いいよいいよ”なんていう感じでスタートしたんですよ。やってるうちに面白くなって、“今年はこういうのをやろう”みたいな感じになっていって。今年は12カ月連続なんだけど、これはもう昔からやりたかったんで、ついに今年できてます。

それも10月ということでもう終盤に差し掛かっていますが。

あと3回。早く終わりたいですね~。想像の5倍くらい大変でした。

(笑)。始まる前はすごい楽しみにしていましたけど。

うん。やっぱりなるべく楽しんでもらいたいので、被り曲がほぼないくらいで毎月やってるんですよ。ってことは、昔の曲を引っ張り出してくるってことじゃないですか。もう忘れてるんだよね。思い出す作業から始まる曲もあって、それはそれですごく楽しいんですけど、すごく大変。

ほぼ新曲みたいな感覚になっている曲もありそうですね。

本当にそう。若い頃とはまた気分も違うし、鍛えられますね。

それは30年以上やってるからできることですよね。

そうだね。そういうところも含めて、やっぱりデビュー前からライヴハウスに育てられてるんだよね。武道館をやろうが東京ドームをやろうが、ライヴハウスで育てられたようなバンドが僕は好きだし、僕らもそうだね。ライヴハウスで育てられてないバンドはイベントの時の楽屋の使い方で分かるね。鞄の置く場所にしても“馬鹿野郎! 向こうに置け!”みたいな奴いっぱいいるもんね(笑)。

改めてこの30年以上を振り返ってみて、ライヴハウスで活動をしていたことは今のTHE COLLECTORSにどのように影響していますか?

日比谷野外大音楽堂でやっても武道館でやっても、スケール感とかそういうものは意識するけど、やっぱりベーシックってライヴハウス時代に出来上がったものだということは思うね。だから、ライヴハウスは要するに出身地なんだよね。やっぱり原点なんだよな。この間ロサンゼルスに行った時、お目当てのバンドもなくふらっとライヴハウスに入ったんですよ。なんてことない地元のバンドが出てたんだけど、その時の出音の良さと照明のセンスの良さに“まだまだ頑張んなきゃ”と思ったね。ライヴハウスの社員かも分からない人がその場でパッパッてやる照明のセンスの良さ…まだまだ遅れてるなと。そういった意味ではまだまだライヴハウスでスタッフと一緒に作っていかなきゃいけないこともいっぱいあるね。
映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』より

映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』より

THE COLLECTORSドキュメンタリー映画
『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』
11月23日(金)より新宿ピカデリー他にてロードショー
L→R 山森“JEFF”正之(Ba)、加藤ひさし(Vo)、古市コータロー(Gu)、古沢'cozi'岳之(Dr)
映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』より

OKMusic編集部

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