【連載】CIVILIAN コヤマヒデカズの
“深夜の読書感想文” 第十回/辻村
深月『かがみの孤城』

こんにちはこんばんわいつもありがとうございます。コヤマです。

CIVILIANというバンドで歌を歌ったりギターを弾いたり曲を作ったりしています。
この連載も10回目を迎えました。相変わらず拙い文章ですが、元来極度の面倒臭がりな自分がそれでもこうやって続けて来れたのは、ひとえに読んでくださる皆さんがいるからです(もちろんBARKSさんも)。本を読む習慣がない人、読書から遠ざかっていた人、興味はあるけれど何を読んだらいいか分からない人、もちろん現在進行形で読書を趣味にされている人も含めて、新しいものに触れるきっかけや、読んだことがあるものにもう一度触れる機会のようなものになっていれば、僕にとってはそれだけで十分嬉しいです。僕は僕でただ楽しく本を読んでそれをそのまま伝えているだけなので、どちらかというと皆さんと一緒に、良い本がいかに良いかということを語りたいが為に始めたものでした。これからも「そうだよねぇ」とか「それは違うんじゃないかねぇ」とか言いながら、同じ本を一緒に読むような気持ちで読んでいただけたら嬉しいなと思っています。
しかし一年半くらい連載をしていてまだ10冊か、と思うと(僕のペースが遅いだけのことですが)、自分が死ぬまでに読める本の数、観れる映画の数、聴ける音楽の数、体験できる出来事の数には絶対的に限りがあるのだということも同時に思い知ります。その点においては音楽は(とりわけロックやポップスは)短くていいですね。一般的な長さの歌であれば一つの歌を体験し終えるまで10分もかかりませんから。死ぬまでにたくさん歌を聴けますね。
高校の時は演劇をやってました。この間「演劇の何が楽しかったのか」と聞かれた時に「違う人生を生きられるから」と答えたんですが、小説を読むのも感覚的には似ています。小説の中に描かれているのは、ありえるかもしれない、自分ではない誰かが(何かが)その世界で息をしていた一瞬一瞬で、それを自分の想像力によって追体験できることも、小説の良いところの一つだと思います。今回読んだものも、こんな人生が在り得て欲しいなと、心底思ったお話でした。こんな物語が本当に在り得たとしたら、僕を含めて一体何人の子供達が救われるだろうか。それを思うだけでも泣きたくなります。

それでは、十冊目の本の話をします。

(この感想文は内容のネタバレを多分に含みます。肝心な部分への具体的な言及は避けますが、ご了承の上読んで頂ければ幸いです)
  ◆  ◆  ◆
辻村 深月
【第十回 辻村深月『かがみの孤城』】
■たとえ目の前にいなくても、わたしたちは、助け合える
第十回はこの方。第一回から再び登場の、辻村深月さん作『かがみの孤城』です。

最初に断っておく(謝っておく?)のですが、今回のこちら、リクエストを頂いて読んだわけではありません。実は第一回の連載以降辻村さんが好きになり、他の作品も時間を見つけて読んでいたのですが、この『かがみの孤城』の評判がとても良いという噂を聞いてしまい(本屋大賞でも一位でしたし)、すでに一度別の作品で取り上げた方でしたがどうしても我慢できず読んでしまいました。なので、今回はリクエストじゃなく、僕自身の希望で取り上げさせて頂きます。少しでも『かがみの孤城』に興味があるというそこのあなた、悪いことは言わないから今すぐこのページを閉じて小説を読み始めましょう。書いている自分が言うのも何ですが、このページを最後まで見てしまった後で読むと間違いなく楽しさが半減します。まあそれはどの小説も同じですけれど。
辻村さんがどんな方かは僕も第一回で詳細に語っている…と思って第一回を見直してみたら、辻村さんご本人のことにはほとんど触れていませんでしたね。辻村さんの本を初めて読んだ時ですもんね。記憶って恐ろしい。ネットで検索すればご本人のことはいくらでも出てきますのでここでは割愛しますね。
この『かがみの孤城』、毎回同じこと言ってる気がしますが、本当に素晴らしかったです。音楽を作るときによく考えるんですが、きっと映画や漫画やその他も同じで、ものを作る人は時として、子供向けだとか大人向けだとか、男向けとか女向けとか、学生向けとかOL向けとか、そんなものを軽く凌駕してあらゆる人の琴線に触れてくるものを生み出す瞬間があるのだなぁ、と、読んでいてとてもドキドキしました。ポップで瑞々しくて愛嬌があり、風邪で学校を休んで家で寝ている時の昼間の空気ような、後ろめたさも伴う穏やかさが、同じような人生を過ごしてきた僕にとってはとても切実で、懐かしいような感覚にもなります。
で取り上げた『オーダーメイド殺人クラブ』と比較してみると、『オーダーメイド~』の時の辻村さんにとって世界や大人たちとは明確な「敵」であったように思うんですが、『かがみの孤城』で描かれている大人たちには敵としての冷酷さはなく「かつては子供であった、現在進行形で苦悩する一人の人間」として描かれています。世間や世界は冷酷で夢のない、身も蓋もないもの…ではなく、大人にだって子供にだって良い奴と酷い奴が両方いるんだよ、という平等な描かれ方をしています。作り手の年齢や精神的な変化が時期によって作品に現れるのは、それを享受する側の人間にとってとても興味深い部分のひとつです。
少年少女が読んでもハラハラドキドキしながら楽しめて、同じ類いの苦しみに耐えている人たちへの救いとなり得る物語であり、そして大人が読んだ時にはまた違った意味で大きな感動を与えられるような作品でした。僕がまさに「その渦中」にあった時に、この本があって欲しかった。よくぞこれを作ってくれたという思いと共に、同じ作り手として少し悔しいです。

主人公は、中学一年生の女の子・安西こころ。あることが原因で現在中学校を休学していて、部屋の中に閉じこもって過ごしています。「あること」とは、文字にしてみればとても薄っぺらく聞こえますが、同じクラスのリーダー的な女子にいじめの標的にされた為です(時として女の子はこんな理由でここまで同性に対し冷徹になれるのかと戦慄するほどです、男の僕から見れば)。ずっと耐え続けてきたのですが、徐々にエスカレートする嫌がらせについに耐えられなくなり、学校に行けなくなってしまいました。そして、学校に行くことが出来なくなった本当の理由、自分が受けた仕打ちを、未だに両親に打ち明けることができずにいました。なのでこころの両親は、娘が不登校になった本当の原因を知りません。
(人に何かを打ち明けなければならない時、その時の状況というのはとても重要、というか打ち明けられるか否かの分岐点があるような気がしていて、こころは不登校の理由を、既の所で打ち明けることが出来なかったのです。そして、一度打ち明けることが出来ずに日々が流れ出してしまうと、再び打ち明けようとするには莫大な勇気が必要になるのです。)
母親からは、不登校の生徒などが通うフリースクールへの通学を勧められ、こころ本人も行ってみたい気持ちはあったのですが、いざ当日になると精神的な原因による腹痛が起こり、スクールへ行くこともできません。
五月のとある日、部屋でひっそりと過ごしていたこころに奇妙な出来事が起こります。部屋に置いてある大きな姿見の鏡が、何の前触れもなく突然光を放ち始めたのです。光に吸い込まれて鏡を抜けた先には、「ディズニーのシンデレラ城のような」大きな城がそびえ立っていました。そこにはこころと同じようにして鏡から集められた少年少女たちが、こころを入れて7人。その7人の元へ、狼のお面をつけ、ドレスを着た”オオカミさま”がやってきます。
状況が飲み込めない7人に向かって、城の管理人である”オオカミさま”は、これからこころ達7人に課せられるゲーム(?)の説明をし始めるのでした。

「この城は”願いが叶う城”であること」

「今から(来年の)三月三十日までの間に”願いの部屋”へと繋がる鍵を城内で見つけること」

「それを達成した一人だけが、願い事を何でもひとつ叶えることができること」

「城に入れる時間は平日の9時から17時まで、それを過ぎると”狼”に文字通り食べられてしまう」

などなど。

こころは他の6人の子供達、アキ、フウカ、マサムネ、スバル、ウレシノ、リオンとおっかなびっくり関わりながら、何でも願いが叶うという”願いの鍵”を探しに行くのでした。

学校に行けない子たち、その親、担任の教師、いじめの主犯格の生徒とその取り巻き達、フリースクールの先生など、様々な人物が登場する群像劇で、物語自体はファンタジー+謎解き要素のあるミステリー調ですが、フィクションらしくぶっ壊れた性格やぶっ飛んだ行動などする人物はおらず、皆それぞれ直面している現実に我々と同じように苦悩し、逃避し、あるいは向き合って、なけなしの不完全な答えを出しながら、どうにか日々を進もうとする人達ばかり(心底クズなのはたぶん作品中一人くらい)。
物語にとって劇薬となるような異常な人間を登場させず、我々と同じ地平に立つ人物達の誤魔化しの効かない感情表現によって、起こっている出来事はファンタジーであるにも関わらず、登場人物達は現実感のある人達ばかり。だからこそ、こんな出来事が本当にあったらいいのに、と思わずにいられません。
こんなに様々な立場の人間達の揺れ動く感情を、言葉によって見事に定義し表現する辻村さんの観察眼や言葉の選び方に脱帽します。各キャラクターの話す言葉のひとつひとつに、好きな歌を聴いていて何度も味わったことのある「ああ、自分が漠然と感じていたことはこれだったんだ」と自分の感情をはっきりと定義される感覚を覚えます。
「あの時」の僕自身にこれを読ませたいと激しく思いました。ああそうだった、自分が音楽を作る時、それを聴かせたい相手の中には必ず「あの時」の自分自身がいて、「あの時」の自分を救う為に今の自分が音楽を作るのだ、と改めて思い出した本でした。ちなみに、作中で一番好きなキャラクターはウレシノです。

ここまで読んだ方はきっともう作品を読んだ後かも知れませんが、忠告を無視して未読のままここまで読んでしまった方、まだ間に合います。結末もネタバレも書いていないので、今すぐ読みましょう。最後の最後までちゃんと救いのある、良い話ですよ。

それじゃあまた。

<CIVILIAN 2nd Anniversary Live “TWO”>


2018年7月18日 (水)@渋谷WWW

開場:18:00 / 開演:19:00

CIVILIAN ニューシングル「何度でも」


2018年8月8日(水)発売

『スターオーシャン:アナムネシス -TWIN ECLIPSE-』テーマソング

・初回生産限定盤 CD+DVD SRCL-9846~47 / 1,800円(税込)

・通常盤  CD only SRCL‐9848 / 1,200円(税込)

CIVILIAN ライブ出演情報


<SAKAE SP-RING 2018>

2018年6月2日(土)

会場 : 愛知17会場(CIVILIANは17時〜NAGOYA CLUB QUATTROに出演)
<TRACKs×MID-FM『LIVE写真展&弾き語りライブ』>

2018年6月2日(土)

会場 : 愛知 spazio rita

出演 : コヤマヒデカズ(CIVILIAN) / 曽根一朗(T/ssue) 、塩入冬湖(FINLANDS)and more・・
<真空歩廊展第四回〜岡松コ〜>

2018年6月17日(日)

会場 : 札幌 Music Colors FUN

出演 : 松本明人(真空ホロウ)/ 岡まこと / コヤマヒデカズ(CIVILIAN)

※弾き語りLIVEとなります
<見放題2018>

2018年7月7日(土)

会場 : 大阪アメリカ村界隈19会場
MURO FESTIVAL2018>

2018年7月22日(日)

会場 : 東京・お台場野外特設会場
<RISING SUN ROCK FESTIVAL 2018 in EZO>

2018年8月10日(金)11日(土)

会場 : 北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ

※CIVILIANの出演は8月11日になります。

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