爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.66「細野晴臣
特集」

いい音爆音アワー vol.66 「細野晴臣特集」

2016年5月11日(水)@風知空知

日本ロック史上の重要バンドと言えば、まず挙げられるのが”はっぴいえんど”と”YMO”でしょう。前者は日本語のロックというものを確立したバンドであり、後者は音楽にテクノ・ポップという新しい可能性を広げることで、世界レベルで影響を与えたバンドですが、その2つともを、発起人として結成し、リーダーとして牽引したのが細野晴臣氏ですね。

それだけでもすごいことなのですが、彼はさらにソロ・アーティスト、ベーシスト、作曲家、プロデューサーとして、60年代後半から現在に至るまで休むことなく、常に高品質な音楽を作り続けてきました。日本の音楽界の至宝と言っても過言ではないくらい、スペシャルな音楽家であります。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
はっぴいえんど「風をあつめて」

45年の風雪を経ても色褪せない名曲そして名演奏。

2nd アルバム『風街ろまん』(1971年11月20日発売)収録

作詞:松本隆/作曲:細野晴臣

なぜか、細野・松本の二人だけでレコーディングしたらしい。
高校2年のとき、寝ながら聴いていたラジオからふいにこの曲が流れてきたときのことを今でも憶えている。”はっぴいえんど”のことも何も知らなかったが、独特な音楽世界に強く惹きこまれた。終わってからもその余韻がいつまでも去らなかった。
【細野晴臣History(1)】

1947年7月9日、東京都港区白金で生まれる。

立教高校、立教大学と進み、大学時代にベースを弾き始める。

1966年頃、林立夫やまだ高校生だった鈴木茂と知り合い、バンドを組み、パーティなどの仕事を始める。

1969年4月、小坂忠柳田ヒロらのGSグループ”フローラ”に松本隆とともに加わり、”エイプリル・フール”として再出発するも、唯一のアルバム『The Apryl Fool』を10月にリリースし、解散。

1969年秋、「バッファロー・スプリングフィールドの音楽に日本語詞を乗せる」というコンセプトの元、松本隆、大瀧詠一とともに”ばれんたいん・ぶるう”結成。やがて鈴木茂も加わる。

1969年12月、遠藤賢司『niyago』で細野、鈴木、松本がバッキングを担当。

1970年4月、”はっぴいえんど”と改称。同月、岡林信康『見るまえに跳べ』レコーディングに参加。

1970年8月5日、URCレコードよりアルバム『はっぴいえんど』リリース。

1971年11月20日、アルバム『風街ろまん』リリース。

1972年9月リリースの金延幸子1st ソロ・アルバム『み空』をプロデュース。

1972年10月、ロサンゼルスでアルバム『HAPPY END』をレコーディング。

1972年12月31日、はっぴいえんど、解散を発表。

1973年2月25日、アルバム『HAPPY END』リリース。

1973年5月25日、細野晴臣1st ソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』リリース。
細野晴臣「薔薇と野獣」

本格的な自宅レコーディングは日本初でしょう。

1st アルバム『HOSONO HOUSE』(1973年5月25日発売)収録

作詞・作曲・編曲:細野晴臣

細野さんが1972年秋に移住した埼玉県狭山市の稲荷山公園(後にHyde Park Music Festival 2005)の近くにある通称アメリカ村の自宅(2LDKの一軒家で家賃が2万円台)でレコーディングした。エンジニアの吉野金次さんが1000万円もする16tr マルチレコーダーAMPEX MM-1100を購入したので可能となった。
このときのメンバー、鈴木、林、松任谷正隆氏と細野さんで”キャラメル・ママ”として活動するようになる。
【細野晴臣History(2)】

“キャラメル・ママ”で南正人『南正人』(1973年)、吉田美奈子『扉の冬』(1973年9月)、荒井由実『ひこうき雲』(1973年11月20日)『MISSLIM』(1974年10月5日)『COBALT HOUR』(1975年6月20日)などをレコーディング。

1973年9月21日、はっぴいえんどラスト・ライブ「CITY -Last Time Around」開催。

1974年6月10日、アグネス・チャン6th シングル「ポケットいっぱいの秘密」リリース。作詞:松本隆(プロ作詞家デビュー)/作曲:穂口雄右/編曲:東海林修・キャラメル・ママ

1974年7月頃?、”キャラメル・ママ”から”ティン・パン・アレイ”に改名。

1974年8月、雪村いづみ『スーパー・ジェネレイション』リリース。

1974年11月、The Three Degrees「Midnight Train」リリース。作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:矢野誠/演奏:ティン・パン・アレイ
雪村いづみ「胸の振子」

日本らしい名曲と、ポップでしっかりした演奏、こういう出会いが大好きです。

アルバム『スーパー・ジェネレイション』(1974年8月発売)収録

作詞:サトウハチロー/作曲:服部良一/編曲:キャラメル・ママ&服部克久

服部良一の名曲を雪村いづみの歌唱とキャラメル・ママの演奏で蘇らせた名盤。

雪村いづみ20周年記念リサイタル合わせて制作された3,000枚限定の自主流通盤であった。
荒井由実「たぶんあなたはむかえに来ない」

このアルバムの中では地味な曲。でも、実にかっこいいです。ボーカルのリバーブはもっと少ないほうがいい(笑)。

2nd アルバム『MISSLIM』(1974年10月5日発売)収録

作詞・作曲 : 荒井由実/編曲 : 松任谷正隆

コーラスアレンジ : 山下達郎/コーラス:Sugar Babe、吉田美奈子

演奏:細野、林、鈴木、松任谷
小坂忠「ほうろう」

当時19歳の矢野顕子さんが旧姓でピアノを弾いて。後に彼女もカヴァーしている曲です。

アルバム『ほうろう(HORO)』(1975年1月25日発売)収録

作詞・作曲・編曲:細野晴臣/プロデュース:細野晴臣&小坂忠

演奏:細野、鈴木、松任谷、林、鈴木晶子(矢野顕子 当時19歳)/コーラス:吉田美奈子、山下達郎、大貫妙子

小坂忠:1948年7月8日、埼玉県志木市生まれ。

1971年、1st アルバム『ありがとう』リリース。細野は作編曲・演奏で中心的な役割を果たす。鈴木、松本も参加。

1972年、林立夫、松任谷正隆、後藤次利、駒沢裕城と”フォー・ジョー・ハーフ”結成。

1976年、娘が重傷の大火傷から奇跡的に回復したことを期に、クリスチャンとなる。

1991年、埼玉県所沢市の日本フォースクエア福音教団秋津福音教会の牧師になる。
【細野晴臣History(3)】

1975年6月25日、2nd ソロ・アルバム『トロピカル・ダンディー』リリース。

1975年11月1日、久保田麻琴と夕焼け楽団『ハワイ・チャンプルー』リリース。
久保田麻琴と夕焼け楽団「ハイサイおじさん」

ヒットする2年も前にカヴァーしたという先見の明。細野さんのトロピカル志向に大きく影響。

1st アルバム『ハワイ・チャンプルー』(1975年11月1日発売)収録

作詞・作曲:喜納昌吉/プロデュース:細野晴臣&久保田麻琴

ハワイのサウンズ・オブ・ハワイ・スタジオで録音。細野さんはなぜかほとんどの曲でドラムを叩いている。

『HOSONO HOUSE』をつくった後、次の方向性に悩んでいたら久保田麻琴から「細野さんはトロピカルだ」と言われ、中学のころ聴いていたマーチン・デニーを思い出し、ピンと来たという。

『トロピカル・ダンディー』をつくる直前(1975年春?)に、沖縄に旅行していた久保田麻琴から「観光バスに乗ったらスゴイ音楽がかかっていた」と絵葉書を送ってきた。沖縄のマルフクレコードから発売されていた喜納昌吉とチャンプルーズの「ハイサイおじさん」のことだった。

全国的にヒットするのは喜納の1st アルバム『喜納昌吉&チャンプルーズ』(1977年11月15日発売)リリース後。
久保田麻琴:1949年、京都府生まれ、石川県小松市出身。

夕焼け楽団:井上憲一(g)、藤田洋麻(g)、恩蔵隆(b)
ティン・パン・アレイ「Yellow Magic Carnival」

この時点(1975年)で既に「イエロー・マジック構想」が芽生えていた。

1st アルバム『キャラメル・ママ』(1975年11月25日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:細野晴臣

b.他: 細野/ag.: 鈴木/dr.: 林/pf. & Strings-arrange: 松任谷/b.v.: 久保田麻琴/per.: 斎藤ノブ

“キャラメル・ママ”名義では何も録音物を残さなかったので、タイトルにしたという。

“ティン・パン・アレイ”の4人共同作業で作った曲は2曲のみ、後はそれぞれ個々のプロデュース作品を2曲づつ集めた計10曲という内容。
吉田美奈子「かたおもい」

このころ名盤が多かった理由のひとつは確実に、"ティン・パン・アレイ"の存在だと思う。

3rd アルバム『FLAPPER』(1976年3月25日発売)収録

作詞・作曲:矢野顕子/編曲:矢野誠/プロデュース:村井邦彦

b.: 細野晴臣/dr.: 林哲夫/g.: 鈴木茂/piano: 矢野顕子
細野晴臣「香港ブルース」

「チャンキー・サウンド」=ニューオリンズのごった煮料理ガンボに対する「ちゃんこ」+「ファンキー」

3rd アルバム『泰安洋行 Bon Voyage co.』(1976年7月25日発売)収録

作詞・作曲:Hoagy Carmichael/編曲:細野晴臣

vo,b,vibraphone,三味線:細野/dr.: 林/p: 佐藤博/ep: 矢野顕子/per.: 浜口茂外也
いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー「真夜中のアマン」

橋本淳さんや萩田光雄さんなど歌謡界の大御所とのコラボ♪

アルバム『アワー・コネクション』(1977年4月25日発売)収録

作詞:橋本淳/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣&萩田光雄/プロデュース:橋本淳

松任谷正隆は不参加。
山下達郎「LOVE SPACE」

ポン太さんと細野さんの組合せは珍しい。細野ベースの盤石のグルーブに注目(耳)♪

2nd アルバム『SPACY』(1977年5月25日発売)収録

作詞:吉田美奈子/作曲・編曲・プロデュース:山下達郎

b.: 細野晴臣/dr.: 村上秀一/guit.(右): 松木恒秀/p.: 佐藤博/alto-sax: 岡崎資夫/per.: 斎藤ノブ

「この人選は当時の私の個人的な趣味が反映したもの」(by 山下)

「細野さんのムダのないベースの影響で、俺の手数が少ない」(by ポン太)
大貫妙子「海と少年」

これも細野ベースに注目。そしてYMOの3人が演奏。

3rd アルバム『Mignonne』(1978年9月21日発売)収録(B-4)

作詞・作曲:大貫妙子/編曲:坂本龍一/プロデュース:小倉エージ

b.: 細野晴臣/dr.: 高橋幸宏/key.: 坂本龍一/guit.: 鈴木茂、松原正樹

PANAM/クラウンからRCA移籍第1弾。「それまで自由に作らせてもらっていたのが、プロデューサーをあてがわれ、メロディや歌詞を直され、でも売れるためなら仕方ないと耐えたのに、結局売れなかったので、音楽業界がすっかり嫌になってしまった」(by 大貫)
【細野晴臣History(4)】

1977年、リンダ・キャリエールLinda Carriere(クレオール=中南米のヨーロッパ人)のアルバムを細野がプロデュースしたがプロモーション盤まで作ってお蔵入り。

1978年4月25日、ハリー細野とイエロー・マジック・バンド『はらいそ』リリース。

1978年9月21日、細野晴臣&横尾忠則『コチンの月』リリース。

1978年11月25日、”YMO”デビュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』リリース。
【追悼コーナー】冨田勲「リボンの騎士」

アニメ主題歌でいちばん好きな曲。アレンジもとてもステキです。

シングル(1967年7月5日発売/日本コロムビア/品番:SCS-30)

作詞:能加平/作曲・編曲:冨田勲/歌:前川陽子/コーラス:ルナ・アルモニコ

アニメ「リボンの騎士」:フジテレビ系列で1967年4月2日~1968年4月7日、全52回放送。

冨田勲:

1932年4月22日生まれ。東京都杉並区出身

小林亜星と高校で同じクラスだった。

1950年代、慶應義塾大学文学部在学中に作曲家として、映画、ドラマ、アニメなどのサウンドトラックを手掛ける。

1969年、モーグ・シンセサイザーと出会い、やがてシンセサイザーをメインにした音楽創作で世界的に活躍する。

2016年5月5日、慢性心不全で死去。享年84歳。
Yellow Magic Orchestra「FIRECRACKER」

当時はあの細野さんが電子音楽?とちょっと驚きましたが、マーティン・デニー(=トロピカル)+ディスコ(当時ブーム)、と自然な流れなのです。

1st アルバム『Yellow Magic Orchestra』(1978年11月25日発売)収録

作曲:Martin Denny/編曲:Yellow Magic Orchestra/プロデュース:ハリー細野

「最初は林哲夫とかMANAとかのメンバーでやってみようかと思っていた。当時はディスコブームでダンスシーンに参加できるような音楽にしたいと思ったが、まだテクノじゃなかった。モデルは”オリジナル・サバンナ・バンド”だった」(by 細野さん)

1978年2月19日、『はらいそ』レコーディング時、坂本龍一、高橋幸宏の2人を細野宅に招き、「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザーでエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジし、世界で400万枚売る」という“YMO”の構想を語り、2人が賛同する。

「1970年代後半からクラフトワークやジョルジオ・モロダーとか、あちこちからコンピュータ・サウンドが飛び込んでくるようになったが、クラフトワークはドイツという国の分厚い歴史を背負っていて、日本人には入っていけない「鋼鉄」のような世界があって、ならば僕らは紙と竹と畳の音楽をやろうって考えた。音楽的には彼らの後を追っていたつもりはなかった」(by 細野さん)
【細野晴臣History(5)】

1979年5月30日、米マーケット向けに、細野とアル・シュミットによりリミックスした米国盤1st アルバム『Yellow Magic Orchestra』をA&Mレコード傘下のホライゾン・レコードからリリース。

1979年9月25日、YMO、2nd アルバム『Solid State Surviver』リリース。オリコン1位。

1979年10月より、YMO初のワールド・ツアー「トランス・アトランティック・ツアー」敢行。

1980年2月21日、YMO、3rd アルバム『パブリック・プレッシャー』リリース。

1980年6月、YMO、スネークマンショーのコントを織り交ぜた4th アルバム『増殖』リリース。

1980年10月より、YMO第2回ワールド・ツアー「FROM TOKIO TO TOKYO」敢行。

1981年3月、YMO、5th アルバム『BGM』リリース。
YMO「CUE」

やや地味だけど細野さんはYMOのベストと公言。

4th シングル(1981年4月21日発売)

4th アルバム『BGM』(1981年3月21日発売)収録

作詞:高橋幸宏、細野晴臣、ピーター・バラカン/作曲:高橋幸宏、細野晴臣

オリコン2位。細野も高橋もこのアルバムをYMOのベストとしている。

このアルバムからYMOの新ロゴ、通称「温泉マーク」が採用されている。

坂本は当初この曲を”ULTRAVOX”の「Passionate Reply」を真似たとして気に入らず、レコーディングに参加していない。
【細野晴臣History(6)】

1981年8月5日、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」リリース。作詞:松本隆/作曲:細野晴臣 7週連続オリコン1位。

1981年11月、YMO、6th アルバム『テクノデリック』リリース。
1981年11月リリースの”チャクラ”2nd アルバム『さてこそ』を共同プロデュース。
山下久美子「赤道小町ドキッ」

作曲クレジットのみですが、実はギター以外のサウンドはすべて細野さんが指示しています。

5th シングル(1982年4月1日発売)

作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:大村憲司

dr.: 高橋幸宏/prg.: 松武秀樹/guit.: 大村憲司

カネボウCMイメージソング。オリコン2位
【細野晴臣History(7)】

1982年5月、アルファ・レコード内に細野、高橋で「YENレーベル」を設立。

1982年5月21日、ソロ・アルバム『フィルハーモニー』リリース(YEN第1弾)。
細野晴臣「SPORTS MEN」

サンプリング時代へ突入。

6th アルバム『PHILHARMONY』(1982年5月21日発売)収録

作詞:細野晴臣、英訳詞:Giles Duke/作曲・編曲:細野晴臣

YENレーベル第1弾アルバム。サンプリング・シンセサイザー「Emulator-I」なるものが登場し、世界で60番目くらいに購入、それにハマって作ったアルバム。このアルバムでは(松武さんの手を借りず)プログラミングも自らやっている。
【細野晴臣History(8)】

1983年3月、YMO「君に、胸キュン。」リリース

※この曲で“オリコン・チャート1位を狙う”と宣言するも、皮肉にも細野の作・編曲による松田聖子の「天国のキッス」に阻まれ、惜しくも2位に終わる。

1983年4月27日、松田聖子「天国のキッス」リリース。作詞:松本隆/作曲:細野晴臣

1983年5月、YMO、7th アルバム『浮気な僕ら』リリース。

1983年8月1日、松田聖子「ガラスの林檎」リリース。作詞:松本隆/作曲:細野晴臣

1983年10月、YMO、「散開」宣言。

1983年12月14日、YMO、8th アルバム『SERVICE』リリース。

1984年1月25日、安田成美「風の谷のナウシカ」リリース。作詞:松本隆/作曲:細野晴臣

1984年2月21日、YMO、9th アルバム『AFTER SERVICE』リリース。
松田聖子「硝子のプリズム」

「セキトウオウリョクセイランシ」という歌詞には参りました!

18th シングル「ピンクのモーツァルト」(1984年8月1日発売)のB面

作詞:松本隆/作曲:細野晴臣/編曲:細野晴臣・松任谷正隆

シングルはオリコン1位

「セキトウオウリョクセイランシ」=「赤・橙・黃・緑・青・藍・紫」
【細野晴臣History(9)】

1984年7月24日、テイチク内に「Non Standard」と「MONADO」、2つのレーベルを立ち上げる。

1984年11月10日、細野晴臣『Making of NON-STANDARD MUSIC/Making of MONAD MUSIC』リリース。

1984年12月16日、細野晴臣 with Friends Of Earth『S・F・X』リリース。

※この後、”Friends Of Earth”名義で、『フレンド・オア・フォー?』(1985年)、『デクライン・オブ・O.T.T』(1986年)、『Sex, Energy & Star』(1986年)をリリース。

1985年8月21日、MONADO第1弾、細野晴臣『コインシデンタル・ミュージック』リリース。

※これに続く『マーキュリック・ダンス』、『パラダイス・ビュー』、『エンドレス・トーキング』(すべて1985年)の4作を細野は「観光音楽」と呼んでいる。

1985年、映画「銀河鉄道の夜」のサウンドトラックを手掛ける。

1986年3月、アルバム『SEX ENERGY & STAR』のトラックダウン終了後、東京・代官山で、雪で足を滑らせ転倒、骨折。

1987年4月25日、骨折→療養からのカムバックをネタに、”F.O.E. featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH”名義で「COME★BACK」をリリース。

1989年7月21日、Epicよりソロ・アルバム『オムニ・サイト・シーイング』リリース。
細野晴臣「ANDADURA アンダドゥーラ」

「観光音楽」の究極が「オムニ・サイト・シーイング=全方位観光」。細野さんはいつも命名のセンスがいい。

14th ソロ・アルバム『omni Sight Seeing』(1989年7月21日発売)収録

作詞・作曲・編曲:細野晴臣/vocal: Amina Ben Mustapha(アルジェリア人女性シンガー)+細野/アコーディオン:ズーヒル・ゴージャ(アルジェリア)/カヌーン:ジュリアン・ヴァイス(スイス)

「ライ・ミュージック(パリのアルジェリア人が始めたアラビアン・ポップ)」に興味を持ったところへ、パリ在住のプロデューサー、マルタン・メソニエからアプローチがあり、1988年4月、NHKスペシャルを絡めてパリの音楽シーンを探った成果がこのアルバムに結集。

マルタン・メソニエの協力でパリでもレコーディング。アミナはマルタンの奥さん。
HIS「恋人はいない」

坂本冬美さん、キヨシローとの異色のユニット。坂本さんが唄うポップスは実に色気があってよろしい。

『日本の人』(1991年7月19日発売)収録

作詞・作曲 - 忌野清志郎/プロデュース:細野晴臣

細野晴臣+忌野清志郎+坂本冬美

細野と清志郎は、1990年2月のローリング・ストーンズ日本公演の楽屋で出会うまで、会ったことがなかったらしい。
【細野晴臣History(10)】

1993年2月、YMO「再生」宣言。

1993年3月21日、ソロ・アルバム『MEDICINE COMPILATION from the Quiet Lodge』リリース。

1993年5月26日、YMO『テクノドン』をリリース。

1994年12月12日、アンビエント・ユニット”LOVE, PEACE & TRANCE”(細野+遊佐未森+甲田益也子+小川美潮)「HASU KRIYA」リリース。

1995年、フランクフルトのドイツ人、Atom Heart、ニューヨークのテツ・イノウエと”HAT”結成。

1996年、コシミハルとユニット”swing slow”結成。

1996年、自身のレーベル「daisyworld discs」を創設。

1996年10月25日、swing slow『swing slow』リリース。

1996年12月、”HAT”、1st アルバム『Tokyo-Frankfurt-New York』リリース。
森高千里「Hey! 犬」

「居ても いぬ」。森高はやはりただ者ではありません。

13th アルバム『今年の夏はモア・ベター』(1998年5月21日発売)収録

作詞:森高千里/作曲・編曲・プロデュース:細野晴臣

「ローソン」のCMで共演したことがきっかけでリリースに至った企画アルバム
【細野晴臣History(11)】

1998年6月、HAT、チリ録音のアルバム『DSP HOLIDAY』リリース。

1999年、久保田麻琴とのユニット”ハリー&マック”で『Road To Louisiana』をニューオリンズ録音。

2000年、”Tin Pan”『Tin Pan』リリース。メンバーは、細野、鈴木、林の3人。

2001年、小坂忠のアルバム『PEOPLE』をプロデュース。

2002年、細野と高橋、”Sketch Show”結成。
Sketch Show「Do You Want To Marry Me」

シンセとコンピュータでつくる柔らかい音楽。

1st アルバム『Audio Sponge』(2002年9月1日発売)

作詞:Corinne Tulipe/作曲:Michel Magne

オリジナルはデビッド・ギルモアDavid Gilmour。ブリジット・バルドーBrigitte Bardot主演、1967年公開映画「セシルの歓び」挿入歌。高橋が中学時代にこの映画を観て、この曲をいつかカヴァーしたいと思っていたという。

当初""Audio Sponge""をユニット名にするつもりだったが、ちょうど狂牛病問題が世間を騒がせていたので、この名前でデビューした。
【細野晴臣History(12)】

2003年6月14日、”Sketch Show”、スペイン・バルセロナの「sonar festival 2003」出演。

2004年6月18日、「sonar festival 2004」で、”HAS=Human Audio Sponge”として細野、高橋、坂本がステージに立つ。

2005年9月、狭山稲荷山公園で行われたハイドパーク・ミュージック・フェスティバルで久々にvocalを披露。これをきっかけに”東京シャイネス”を結成し、C&Wスタイルの歌ものでライブ活動を展開する。

2007年7月、細野晴臣トリビュート・ライヴが日比谷野外音楽堂で開催される。ヴァン・ダイク・パークスが参加し、「さよならアメリカ、さよならニッポン」を共演する。

2007年8月22日、”HASYMO”「RESCUE」とYellow Magic Orchestra「RYDEEN 79/07」、2曲入りのシングルをリリース。

2007年9月26日、ハリー細野&ワールドシャイネス『FLYING SAUCER 1947』リリース。

2011年4月20日、ソロ・アルバム『HoSoNoVa』リリース。

2013年5月22日、ソロ・アルバム『Heavenly Music』リリース。
ハリー細野&ワールドシャイネス
「Flying Saucer Breakdown」

細野さんの唄は声に円熟味が増し、リズムに切れ味が増して、とてもよくなってきた。

18th アルバム『FLYING SAUCER 1947』(2007年9月26日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:細野晴臣

6弦ベース:/Resonator guitar: 高田漣/アコーディオン:越美晴/per.: 浜口茂外也/コーラス:木津茂理木津かおり

1947年7月8日、米国ニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOが米軍によって回収されたという事件=「ロズウェル事件」があった。細野さんが生まれた1947年7月9日の前日。


                        

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