時代に左右されない熊谷育美は、歌い手としてただ発信するのではない。自身も挫折を経験し、音楽に救われたひとりだからこそ、歌えることがあると真っ直ぐな思いを力強く語ってくれた。
取材:ジャガー

「月恋歌」は物語を読んでいるような、文章から情景を想像する楽しさがあり、聴き終えるとやさしい気持ちになれました。

私は10代の頃、上京したんですけど…環境の変化からか、曲が書けなくなってしまい挫折したかたちで気仙沼に戻った経験があって。気仙沼に帰ってからは、書けなかった時間を取り戻すように曲作りが止まらなくて、その中で『月恋歌』と『ひとり』は生まれました。生まれ育った自然の景色を体で感じながら、あふれ出たままに描いた楽曲なので、私の身近な自然がてんこ盛りですし、飾らない自分自身が表現されているように思います。

休まる場所に戻ったことで、心が開放されたということですね。では、当時はどういう思いで歌っていたのでしょうか?

とにかく落ちるところまで気持ちは沈んでいました。普段から音楽のことばかりを考えているわけではないんですけど、日々生きている中で感じる悲しみであったりうれしさといった、何気ない生活の中での感情がピアノの前に立つとうわーとあふれてしまうんですよ。その感情を日記を書くように言葉にし、それが歌詞となり、歌詞に合わせてポロポロ弾いていると1曲が出来上がる。そんな作りかたなのもあって、一気にあふれ出たんでしょうね。

お話を聞いていると、弾くというよりも“あんな楽しいことがあった”“こんな辛いことがあった”と友人に話しかけるようにピアノと接しているのだと思いました。

かもしれません。感情のままに曲作りを始めたので、コードも知らずにとにかく音を出すところからで、何もかもが自己流でしたし。ピアノが寄り添ってくれているような感覚です。

時を経てリリースに至った楽曲ですが、どういう心境でレコーディングに挑まれました?

実を言うと『月恋歌』は、いつかリリースしたいなっていうのはあったんですけど、ライヴでもあまり披露せずにずっと自分の引き出しに閉まっていたものなんです。それを主題歌に選んでいただいた映画『劇場版 TRICK 霊能力者バトルロイヤル』の堤 幸彦監督に気に入ってもらえたので不思議というか。自分が意図しないところで、私の曲を気に入ってくれた方がいて、こうやって多くの人に聴いていただける機会に遭遇したわけですから、運命に手繰り寄せられた出来事でうれしかったですね。改めて聴くと懐かしさがあり、当時から自分も歳を重ねたことでより曲に対する思いも広がったので、大事に歌いたいなと。なるべく飾らずに裸になるような感覚で…と、言ってもレコーディングは毎回集中しすぎて覚えてないんですよ(笑)。わりとレコーディングの時間は早かったんですけど、終わった途端に倒れてしまうんじゃないかっていうぐらい陶酔していました。

先日ライヴを拝見したのですが、その時も1曲1曲表現豊かに歌われているのがとても印象的でした。作り手として感情を吐き出した楽曲に、歌い手としては身を任せると?

私のことは知らないし、誰も聴いてくれないんじゃないかってライヴをやり始めた頃は不安だらけで下を向いて鍵盤ばかり見て歌ってましたね。でも、“良かったよ”って声をかけてもらえて待ってくれている人がいるんだと気付いてからは、自分の思いをしっかり届けられるように努めています。私が誠意を持ってライヴに臨めば、ちゃんと伝わると信じています。そのためにも作るのも歌うのも熊谷育美なんですけど、スイッチは切り替えてますね。作っている最中は、先ほども言ったように感情があふれ出ている状態なので曲に込められている思いが強いんです。それを歌い手としては、“あんな感じで歌おう”“こういうふうに表現したら言葉がもっと活きるんじゃないか?”って考えますね。やはり一番いいかたちでみなさんには聴いていただきたいですし、私も一番いいかたちで歌っていきたいですから。

そういった気配りによって楽曲の持ち味が広がり、世界観に浸れるのですね。2曲目「ひとり」の“やさしくなろう”は曲中で2度出てきますが、相手へと自分自身に向けての言葉として意味合いが異なっていますよね。熊谷さんの歌い方で気付かされたのですが。

鋭いですね。主人公が慰めてる場面でもありますし、言い聞かせてる感じですね。主人公が絶望感に苛まれていても、自然は変わらずにずっと動いている。当たり前だけど、それを見て生きていることを実感するんです。壮大な自然を見ると、なんて些細なことで悩んでしまっていたんだろうって気持ちになりますし、自分にやさしくなろうと前へ向いた曲です。ちょっとダークな面は持っていますが(笑)

どちらも熊谷さんが何気ない日常の中で悩んだり、苦しんだりしながらも前へ進んでいるからこそ、聴き手の背中を押してくれる強さがあると思います。

そうなってくれるとうれしいですね。『月恋歌』は物腰和らいだ淡いテイストで、『ひとり』はダークな一面を織り交ぜているので2曲ともに印象が違いますが、どちらも決して後ろ向きではないですよ。自分も音楽に助けられてきたひとりなので、聴いた人の拠りどころになれるものを歌いたかったので。
熊谷育美 プロフィール

鬼束ちひろ・元ちとせ・中孝介・柴田淳を手がけた羽毛田丈史によるプロデュースで09年1月21日シングル「人は皆、不甲斐ないね」でデビュー。作詞・作曲は自らが手がける。オフィシャルHP
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OKMusic編集部

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