Paul Butterfield
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Paul Butterfieldポール・バターフィールド
バターフィールド・ブルース・バンドでホワイト・ブルースの頂点を極め、ベター・デイズではUSルーツ・ミュージックを広範囲に渡って探求したポール・バターフィールド。
完全なソロ名義作でもルーツに根差した音楽性は微動だにせず、75年の1st『プット・イット・イン・ユア・イヤー』では、豪華ゲストをバックにベター・デイズ路線を継承するようなレイドバックしたサウンド陣を展開。しかしハープをいつものようにフィーチャーせず、よりヴォーカリストとしての側面をアピールした内容となった。そして81年には、ウィリー・ミッチェルをプロデュースとして迎え、サザン・ソウル色の濃厚な『ノース・サウス』を発表。が、この直後にポールは、長年のドラッグ/飲酒癖によって体調を崩し、しばらく一線から身を引くことに。86年には『レジェンダリー・ポール・バターフィールド・ライズ・アゲイン』でカムバックを果たすが、翌87年に43歳という若さ亡くなってしまう。死因は薬物過剰摂取。ブルースに生き、ブルースに殉じた男のあまりにも悲しい終焉であった。
完全なソロ名義作でもルーツに根差した音楽性は微動だにせず、75年の1st『プット・イット・イン・ユア・イヤー』では、豪華ゲストをバックにベター・デイズ路線を継承するようなレイドバックしたサウンド陣を展開。しかしハープをいつものようにフィーチャーせず、よりヴォーカリストとしての側面をアピールした内容となった。そして81年には、ウィリー・ミッチェルをプロデュースとして迎え、サザン・ソウル色の濃厚な『ノース・サウス』を発表。が、この直後にポールは、長年のドラッグ/飲酒癖によって体調を崩し、しばらく一線から身を引くことに。86年には『レジェンダリー・ポール・バターフィールド・ライズ・アゲイン』でカムバックを果たすが、翌87年に43歳という若さ亡くなってしまう。死因は薬物過剰摂取。ブルースに生き、ブルースに殉じた男のあまりにも悲しい終焉であった。
Paul Butterfieldのニュース
- BARKS2019年05月21日
- BARKS2019年01月23日
- BARKS2017年12月04日
曲・アルバム
Paul Butterfield Live (1970)
2015年08月21日リリース
アルバム・2曲- 1 Born Under a Bad Sign (Live)
- 2 Driftin' Blues (Live)
Paul Butterfield Live (1970)
Merry Christmas Baby - Single
The Legendary Paul Butterfield Rides Again
1986年01月01日リリース
アルバム・9曲- 1 The Wandering Kind
- 2 Save Me
- 3 Don't You Hang Me Up
- 4 Mannish Boy
- 5 Heart Like a Locamotive
- 6 Bad Love
- 7 The Night Ain't Long Enough
- 8 We Stand a Chance
- 9 Changes
The Legendary Paul Butterfield Rides Again