藤圭子

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    藤圭子フジケイコ

    現在では"宇多田ヒカルの母"として知られているが、団塊の世代にとっては"怨歌"の藤圭子として認知される。
    浪曲師の父と曲師の母の間に生まれ、幼い頃より東北地方を巡業して廻り、中学生にして家族と共に上京。そして"流し"をしながらレコード会社に売り込むという壮絶な下積み生活を送った。そんな努力が実を結び、69年に<ビクター>と契約。"演歌の星を背負った宿命の少女"なるキャッチコピーのもと、「新宿の女」で弱冠18歳にしてデビューを果たした。若さに似合わぬ情念が込められた歌唱は大衆に衝撃を与えると同時に、続く「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」と、連続して大ヒットを記録。まさに学生運動も終わった空虚な時代を象徴する存在となる。その後79年に突如引退してしまうが、81年には復活。以降、思い出したようにシングルを発表するのみで、今では娘のサポートに徹している。

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