ザ・モップス

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日本初の本格的サイケデリック・サウンドを演奏するバンドを標榜し、67年「朝まで待てない」でデビュー。メンバーは鈴木ヒロミツ(vo)/星勝(g、vo)/三幸太郎(g)/村上薫(b)/スズキ幹治(dr)の5人。
メンバーが揃いのユニフォームではないヒッピー風ファッションを身に纏ったり、報道陣を集めLSDパーティーを主催してみたりと、そのイメージ作りもさることながら、音楽的にもサイケを意識した名盤『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』(68年)を発表。ファズ・ギターはもちろん、シタールを導入してみたり、当時のGSのレコードとしては異例の長時間のインプロヴィゼーションを展開してみたりと、その名に恥じぬ意欲作で、後にこのアルバムが欧米のサイケ/ガレージ・マニアの間でマスト・アイテムとなったのも肯ける。
69年には村上が脱退、三幸がベースに転向。時代の波と共にハード・ロック色が濃くなり、高水準な演奏を繰り広げる本格的なロック・バンドへと成長を遂げる。
海外アーティストの来日公演の前座や、ウッドストックに影響されて我が国でも頻繁に開催されたロック・フェスなどで活躍する一方、敬愛するアニマルズやR&Rスタンダードを独自のアレンジでカヴァーしたアルバム『ロックン・ロール'70』(70年)、阿波踊りとハード・ロックを融合させた「御意見無用」(71年)などのユニークなオリジナル曲も数多く発表している。
ヒット曲には恵まれなかった彼らだが、元々、ステージで受け狙いで演奏していたコミカルなスロー・ブルース・カヴァー「月光仮面」(71年)がオリコン最高18位のヒットに。こうしたイメージが後の鈴木ヒロミツのタレント活動に大いにプラスとなったことも事実だが、その後も、次第に時代を席捲しつつあったフォーク系のアーティストに楽曲提供を依頼し、センスの良いアレンジで料理したアルバム『モップスと16人の仲間』(72年)を発表、同アルバムよりシングル・カットした吉田拓郎作品「たどり着いたらいつも雨ふり」をヒットさせるなど、常にニュートラルなスタンスと高度な音楽性で、GS出身としては息が長く74年まで活動を続けた。なお、作曲・編曲を手掛け、モップスの音楽的な要であった星勝は、解散後もアレンジャーとして第一線で活躍した。 (渋谷俊毅)

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