ザ・ダイナマイツ

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    65年、杉並区阿佐ヶ谷の不良少年たちにより結成されたモンスターズが母体。米軍キャンプやジャズ喫茶を中心に活動、ゼムやローリング・ストーンズなどのナンバーを得意とし、米兵の固定ファンも獲得するほどの人気を得る。
    67年、レコード会社の目にとまり、ダイナマイツと改名させられ、「トンネル天国」でデビュー。メンバーは、瀬川洋(vo)/山口冨士夫(g&vo)/吉田博(b)/大木啓造(g)/野村光朗(dr)の5人。このバンドの魅力は、何といっても瀬川の黒っぽいフィーリングに溢れたヴォーカルと、後に多くのミュージシャンに影響を与える山口の卓越したギター・テクニックであった。オリコン73位を記録した「トンネル天国」は、プロの作家である鈴木邦彦の手によるものながら、彼らのもつR&Bテイストがヒシヒシと伝わってくるアレンジ/演奏により、後々、和製ガレージ・パンクの古典として評価された人気の高い曲。この曲が80年代以降のB級・カルトGSブームの火つけ役になったと言ってもいい。
    その後、サイケでエキゾなカルト・ナンバー「真夏の夜の動物園」(68年)、瀬川作のブラス・セクションを活かしたポップなR&B「恋は?」(68年)など5枚のシングルと、ストーンズもカヴァーしたルーファス・トーマス「Walking The Dog」の名カヴァーなどを含むアルバム『ヤングサウンドR&Bはこれだ!』(68年)を発表するが、いずれもヒットには結びつかなかった。——レコードでは彼らの魅力は伝わり切らないと言われていたが、98年に当時のライヴ音源を発掘したCD『Live At The"Go Go ACB"1969』が突如として登場。ダイナマイツの本来の姿を知る上で貴重な音源である。
    瀬川のアメリカン・ロック指向と山口のブルース・ロック指向など、方向性の違いもあり、69年末をもって解散。その後、瀬川はソロ・アルバム『ピエロ』(72年)を発表、山口は伝説のバンド"村八分"への参加と、それぞれの方向性を発展させていった。 (渋谷俊毅)

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